原合名会社時代とは? わかりやすく解説

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原合名会社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:52 UTC 版)

富岡製糸場」の記事における「原合名会社時代」の解説

合名会社富岡製糸所手に入れると、その翌月に当たる1902年10月原富岡製糸所改名した1900年前後には郡是製糸(現グンゼ)を始め、繭質改良積極的な事業者現れ蚕種安価配布するものも現れていた。蚕種養蚕農家配布することは、繭の品質向上と均質化寄与するものであった。原合名会社も、まず原名古屋製糸所で1903年明治36年)から蚕種配布始め1906年明治39年)からは原富岡製糸所でも開始した原富岡での蚕種配布無償行なわれ、その数を増やしていく上では、群馬発祥し全国的に影響のあった養蚕教育機関高山社協力仰いだまた、工女たちの教育機会確保継続されており、娯楽の提供などの福利厚生面にも配慮されていたが、それらについては「普通糸」よりも質の高い「優等糸」を生産していた富岡製糸所にとっては、熟練工つなぎとめておくことが必要であったからとも指摘されている。 原時代第一次世界大戦1914年勃発)や、世界恐慌1929年)に見舞われ時期含んでいる。いずれの時期にも生産量減少しており、ことに1932年昭和7年)には大幅な減少経験した。しかし、それから間もなく8緒のTO繰糸器・御法川式繰糸器を撤去し20緒のTO式および御法川式を大増設し、生産性上昇した1936年昭和11年)には147000キログラム生産量記録し過去最高となったこのように生産性の向上見られたが、満州事変日中戦争によって国際情勢不安定化していき、1938年昭和13年)には群馬県最大全国2位)の山十製糸倒産したこのような情勢の中、原富岡製糸所大久保佐一工場長組合製糸会社大久保社長兼務)のトラブルがもとで自殺したことや、原富太郎後継者原善一郎早世するなど、原合資会社内部混乱重なっていた。さらに、主要輸出先アメリカで絹の代替となるナイロン台頭し先行きにも懸念があった。そのため、原合名会社は山十が倒産したのと同じ1938年製糸事業縮小踏み切った富岡製糸所切り離されて、同年6月1日株式会社富岡製糸所として独立した形式上代表取締役西郷健雄(原富太郎娘婿であったが、経営筆頭株主片倉製糸紡績会社担当することになった

※この「原合名会社時代」の解説は、「富岡製糸場」の解説の一部です。
「原合名会社時代」を含む「富岡製糸場」の記事については、「富岡製糸場」の概要を参照ください。

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