古典期後期終末とは? わかりやすく解説

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古典期後期終末(バヤル相、A.D.830 - A.D.930ころ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)

セイバル」の記事における「古典期後期終末(バヤル相、A.D.830 - A.D.930ころ)」の解説

バヤル(Bayal)相の時期に、他のマヤセンター衰退し放棄されていくのをしり目にセイバルは、繁栄頂点極めたとされる。その中心グループAであった。高さ18.5mに達すセイバル最大構築物A-24と北、中央、南の三つプラザ完成し球戯場(A-19)が築かれた。豊富な副葬品を伴う埋葬多数の「供納穴」が築かれ祭祀中心になったと考えられるまた、セイバルの名を知らしめることとなったグループA「南プラザ」に構築物A-3とその周囲石碑群がこの時期築かれた。構築物A-13は、一辺18mほどの四方階段を持つほぼ正方形プランをもつ建物で、3段で高さ4m弱の基壇の上に高さ5mほどの神殿建てられている。神殿の上部は彩色施され漆喰レリーフ施されていた。東西南北それぞれ3体の人物像刻まれ神殿角には一体ずつ計4体の人物像貼り付けられていた。人物像の間には、最下段象形文字刻まれ、その上中央には座った人物がいて両脇などの動物模式的植物刻まれていた。座った人物の上にはそれぞれ2文字ほどの象形文字刻まれていた。階段前には、それぞれ四方祭壇を伴う石碑が、東西南北順に11号9号8号10号建てられている。興味深いのは北側石碑10号に伴う祭壇の上面に「田」の字状の刻文見られたことである。これは、インド双六酷似していることで知られるパトリ・ゲームゲーム盤と同じもので、アステカ時代までギャンブルにも使われたことでも知られている。周囲石碑10バクトゥン長期暦日付と、「メキシコ中央高原風の人物像が刻まれていることとともに古典期終末期メソアメリカ圏の人の動きについて、研究者間でその性質について議論する材料提供することとなっている。 グループCにおいては、バヤル相に構築物C-18完成しグループDグループAを結ぶ堤道Iと堤道III築かれた。また堤道II構築物C-79の場所まで伸びるようになったことが確認されている。また小規模な建造物グループであるユニット群が多数建設された。ユニットC-10埋葬28号ユニットC-32埋葬26号、ユニットC-33の埋葬2号と埋納遺構8号がこの時期造られた。 また構築物C-79では、高さ3.7m、直径17.5mの円形に近いプランを持つ建造物以前の建物覆って造られた。階段西側設けられ円盤状の石を動物もしくは人物思われる石彫支え祭壇1号築かれた。丸いプランピラミッドメキシコ中央高原西部散見されることからも、構築物A-3とその石碑群とともに注目されるグループDでは、D-41、東プラザ、「中庭A」の地表からバヤル相に相当する時期土器片が確認されており、堤道III東端部分周辺にあたることからも堤道III構築時期示唆される。また東プラザから埋葬15号が確認されている。

※この「古典期後期終末(バヤル相、A.D.830 - A.D.930ころ)」の解説は、「セイバル」の解説の一部です。
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