古典注釈学・著述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 01:04 UTC 版)
「新注」および「四書」も参照 朱熹やその弟子たちは、経書に注釈を附す、または経書そのものを整理するという方法によって学問研究を進め、自分の意見を表明した。特に、『礼記』の中の一篇であった「大学」「中庸」を独自の経典として取り出したのは朱熹に始まる。更に、朱熹は『大学』のテキストを大幅に改定して「経」一章と「伝」十章に整理し、脱落を埋めるために自らの言葉で「伝」を補うこともあった。 宋学においては孔子の継承者として孟子が非常に重視され、従来は諸子百家の書であった『孟子』が、経書の一つとしての位置づけを得ることになった。『大学』『中庸』『孟子』に『論語』を加えた四種の経書が「四書」と総称され、朱熹はその注釈書として『四書集注』を制作した。これにより、古典学の中心が五経から四書へと移行した。 詳細は「#基本文献」を参照
※この「古典注釈学・著述」の解説は、「朱子学」の解説の一部です。
「古典注釈学・著述」を含む「朱子学」の記事については、「朱子学」の概要を参照ください。
- 古典注釈学・著述のページへのリンク