古典派の経済思想
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この古典派経済学の時代、つまり1770年後半から1870年代前半の限界革命以前の古典派経済学がその分析の基礎においているのは「労働価値説」という考え方である。労働価値説には支配労働価値説(ある商品の価値が、それを支配する他の商品の量によって決定されると言う説)と投下労働価値説(ある商品の価値が、その商品の生産に投入された労働量によって決まると言う説)という2種類のものがあるが、より基本的な考え方として価値を生み出すのは人間の労働であるという思想があった。この考え方は古典派経済学者のリカードやマルサスに至るまで古典派の考え方の基礎であり続けた。また、古典派経済学は経済社会を「資本階級」「労働者階級」「地主階級」の3つの階級に分けて、これを中心に分析をしている。 この背景としては、当時が急激な変化を伴う時代だったということが指摘されるだろう。19世紀から20世紀には大工場を所有する産業資本家が労働者を雇い、利潤の目的を目指して労働者が商品を生産するという資本主義という経済体制が封建社会から産声を上げた時代であった。18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命が社会に広範な影響を与えはじめた時代の変化は、非常に急激なものであり、その時代にあった経済学が求められた。このような時代のさなかに始まったのがアダム・スミスに始まる古典派経済学である。1776年に国富論において「見えざる手」という概念が古典派経済学者のアダム・スミスによって考えだされた。すなわち、個人が自由な市場において、個々の利益を最大化するように利己的に経済活動を行えば、まるで見えざる手がバランスを取るかのように、最終的には全体として最適な資源の配分が達成されるというものである。この「見えざる手」は、現在では「価格メカニズム」と呼ばれる。見えざる手は、日本では「神の見えざる手」と紹介されることもある。しかし、アダム・スミス自身は「Invisible hand(見えざる手)」という言葉を使っており、国富論の原文には「神の(of God)」という部分はない。 アダム・スミスは、国家の富とは「生活の必需品と便益品」つまり消費財であると考えた。またこの消費財は労働によって作られるのだと考えた。また、その富とは、蓄積された財(ストック)ではなく、年々消費される「フロー」であると位置付けた。また、重農主義者であるフランソワ・ケネーの自由放任(レッセ・フェール)の考え方は、アダム・スミスに影響を与えた。スミスはこの富は農地や資本設備に投下された労働によって生み出されると考えた。これは労働価値説、あるいは投下労働価値説というものである。また、スミスは、商品の価値はその商品で購買あるいは交換できる他の商品の労働量に等しいという支配労働価値という考え方も紹介している。そして、国富は労働者、地主、資本家の間で、賃金、地代、利潤という形でそれぞれに分配されると考えられ、ここから、「価値というものが賃金、地代、利潤の3つに分解できる」という考え方に発展した。これがスミスの「自然価格」というものである。価格というものは市場によって常に変動するものであるが、自然な状態にあるときの価格を持って中心価格とする考え方である。また、賃金の自然率・地代の自然率・利潤の自然率の3つによって構成されるのが自然価格(natural price)だというのが、自然価格の基本的な考え方である。 古典派経済学は、イギリスの産業革命の勃興期を前提として成立したが、その後問題となった10年周期の恐慌やフランスの大規模な失業労働者に対する有効な処方箋を作成することができなかった。
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