古典期終末期のペテン地方とプトゥン人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/11 00:16 UTC 版)
「プトゥン人」の記事における「古典期終末期のペテン地方とプトゥン人」の解説
トンプソンは、さらに、鳥のくちばしをつけた風神エエカトル(セイバル石碑19号など)、「言葉の渦」(セイバル石碑13号、19号など)、投槍器アトラトル、メキシコ中央高原的な象形文字(セイバル石碑13号)などがセイバルやウカナルなどの遺跡の石彫などにみられること、それらの遺跡に加えてアルタル・デ・サクリフィシオスにも、メキシコ湾岸起源と思われる非マヤ的な良質オレンジ土器が出土することを挙げ、チョンタル語を話すプトゥン・マヤに関連するグループが、730年ないし750年ごろからタバスコ州のポトンチャンからペテン地方に侵入ないし浸透してきたと主張した。
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