ペロポネソス戦争とは? わかりやすく解説

ペロポネソス‐せんそう〔‐センサウ〕【ペロポネソス戦争】

読み方:ぺろぽねそすせんそう

431〜前404年アテネ中心とするデロス同盟スパルタ中心とするペロポネソス同盟との間に行われた戦争ペルシア援助受けたスパルタ側の勝利終わったが、戦争による痛手から、ギリシャ全体衰退向かった


ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 00:27 UTC 版)

ペロポネソス戦争(ペロポネソスせんそう、古希: Πελοποννησιακός Πόλεμος: Peloponnesian War紀元前431年 - 紀元前404年[1])は、アテナイを中心とするデロス同盟スパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。


  1. ^ 明石和康『ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり』岩波書店、2013年、関連年表頁。ISBN 978-4-00-500761-5 
  2. ^ この経緯は、クリティアスの従兄弟でソクラテスの弟子プラトンが四部作『エウテュプローン』、『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『パイドン』に記録し、後世に伝えられている。


「ペロポネソス戦争」の続きの解説一覧

ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 01:40 UTC 版)

大戦略」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

アテナイ当時最強海軍持ち古代ギリシア周辺部重要な港をいくつも支配していた。スパルタペロポネソス同盟強力な陸軍持ち古代ギリシャ心臓部ともいえる地域支配していた。アテナイ急速な成長恐れたスパルタによってペロポネソス戦争が始められた。国内多くの被抑圧民を抱えスパルタには長期間遠征が無理だったため、直接アテナイ攻略する戦略をとった。一方アテナイ指導者ペリクレス籠城戦選んだ陸戦を耐え抜いて得意の海戦スパルタ圧倒する作戦だった。

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)

ギリシャの歴史」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

デロス同盟への支配強化したアテナイ徐々に巨大化ていったが、スパルタ率いペロポネソス同盟はこれを脅威認め紀元前431年にペロポネソス戦争(第二次ペロポネソス戦争とも)が勃発することとなった戦い前半戦アテナイ有利に戦い進め紀元前421年一度、「ニキアスの和約」が結ばれ戦い終了した。しかし、アテナイシケリア遠征行なったことから紀元前415年、再び戦争開始された。アテナイはデケレイアをスパルタ軍に押さえられたことにより、穀物生産不可能となり、また、港もスパルタ軍に押さえられたことにより紀元前404年降伏し、ここにペロポネソス戦争は終わりを告げた。 ペロポネソス戦争に勝利したスパルタギリシャにおける最有力ポリスとなったが、スパルタギリシャ覇権を得るために強引な政策進め、これにコリントステーバイ反発していた。そして王が交代したペルシアイオニア地方ポリスへの圧力強めたため、スパルタはこれを打破するために遠征開始したが、戦い膠着状態に入り長引いていた。そのため、スパルタ再度、諸ポリス遠征参加呼びかけたが、コリントステーバイアテナイはこれに応じず、反対にペルシアから資金受け取っていた。紀元前395年コリントステーバイアテナイアルゴススパルタへの挙兵開始、ここに「コリントス戦争」が開始された。結局紀元前386年ペルシア王の介入休戦アンタルキダスの和約)が結ばれたが、小アジアキプロスポリスペルシアの支配するものとなったその後テーバイアルカディア連邦結成スパルタへの攻撃開始スパルタリュクルゴス体制限界迎えており、これ以降衰退見せペロポネソス同盟解散することとなった紀元前378年アテナイ第二回海上同盟英語版)(デロス同盟一度数える)を結成ゆるやかな団結行い紀元前375年ナクソス沖の海戦英語版)でギリシャへの野望燃えペルシア軍を打ち破っていた。しかし、この勝利によりアテナイは再び支配強化動き出したため、紀元前357年、「同盟市戦争 (紀元前357年紀元前355年)(英語版)」が勃発テーバイアテナイ激戦開始することとなった。しかしこの戦いの間に「第三次神聖戦争英語版)」が勃発ギリシャ混乱見舞われることとなった紀元前355年第二次海上同盟の崩壊という形で同盟市戦争終わりを告げたが、第三次神聖戦争続いていた。この最中紀元前356年アレクサンドロス生まれた北のマケドニアがアンフィリポリスを占領ギリシャへの侵食開始した

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:13 UTC 版)

テーバイ」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

紀元前460年アテナイデロス同盟)とスパルタペロポネソス同盟)との間に第一次ペロポネソス戦争紀元前460年-紀元前445年)が勃発する紀元前457年スパルタ方針転換し中部ギリシャにおいてアテナイ対抗できる勢力としてボイオーティアにおけるテーバイ復権認めたアテナイオイノフュタの戦い紀元前457年)でボイオーティア同盟破りテーバイを除く全都市を占領してボイオーティア支配下置いたが、テーバイのカドメアの要塞アテナイ対す抵抗拠点として持ちこたえたデルポイをめぐる第二次神聖戦争紀元前449年-紀元前448年)の終息後ボイオーティアの諸都市アテナイに対して反旗を翻すようになったコロネイアの戦い(紀元前447年)ボイオーティアなどの連合軍アテナイ勝利アテナイボイオーティアから撤退しボイオーティアの諸都市独立取り戻した紀元前431年、(第二次)ペロポネソス戦争(紀元前431年-紀元前404年)が勃発するが、テーバイスパルタ忠実な同盟者としてアテナイ戦った。これに対してアテナイプラタイアはじめとする小規模な都市支援してテーバイ苦しめた紀元前427年テーバイ因縁の深いプラタイア占領し破壊している。紀元前424年にはデリオン戦い英語版)で、テーバイはじめとするボイオーティア軍はアテナイ軍を破りテーバイ軍事的な実力示されることとなった

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 06:53 UTC 版)

プラタイア」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

トゥキディデスによれば紀元前431年4月闇夜と嵐に乗じて300人のテーバイ兵がプラタイア侵入した。これは2人プラタイア市民の手引きによるもので、彼らはテーバイ兵が市の指導者捕える殺害してテーバイとの同盟を迫るだろうと考えた。しかし、テーバイ側の指揮官たちは誰も傷つけずに、プラタイア側にテーバイとの同盟同意するよう説得始めたプラタイア側の指導部はいったんこれを受け入れるものの、まもなく侵入者少数であり、打ち負かすのはたやすい考え改めたプラタイア市民テーバイ兵を攻撃したテーバイ300人のうち約170人を殺害した。この攻撃は、女性奴隷参加した数少ないケースである。アテナイは、事態伝えプラタイアからの伝令に、テーバイ捕虜殺さないよう伝えるべく送り返したものの時遅くプラタイアでは激高した市民によって捕虜たちが全員殺され後であった。 トゥキディデスによれば、この数時間出来事により、テーバイボイオーティア同盟兵力12%を失ったという。アテナイプラタイア救援すべく軍を派遣したプラタイア女性子供兵役務めることができない男性は、アッティカ避難したテーバイによるプラタイアへの先制攻撃は、この後27年間続くペロポネソス戦争の起点一つと見なされている。 紀元前429年夏、スパルタ王アルキダモス2世ペロポネソス同盟軍率いてプラタイア侵入し収穫奪ったプラタイアスパルタ使者送ってペルシャ戦争勝利栄光思い起こさせた。スパルタ人プラタイア「聖地」として保護しプラタイア独立の状態を保つことを認め一方プラタイア攻撃加えない代わりにプラタイア中立を保つことを認め取り決めを結ぶことを提案したプラタイアアテナイとの協議結果スパルタ提案拒絶し都市防御固めたスパルタはただちにプラタイア包囲しさまざまな手段攻めた陥落させることはできなかった。スパルタ軍は都市包囲する城壁築き必要な兵力残して撤退したスパルタおよびテーバイによって包囲されプラタイアでは、アテナイ援軍望めない絶望的な状況の中で冬を越した220人ほどが包囲突破して脱出することも行っている。しかし、プラタイアでは物資尽き援軍望めない中で、紀元前428年夏にスパルタ降伏したスパルタ捕虜対する「公正な裁判」を約束していたがこれは行われずスパルタへの協力拒否した200人ほどのプラタイア市民殺害された。テーバイ都市をすべて破壊し、その廃材用いてヘーラー祀る神殿建設したその後紀元前386年都市再建された。

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:48 UTC 版)

アテナイ」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

詳細は「ペロポネソス戦争」を参照 ペルシア戦争での威信利用したアテナイ急激な軍備拡張と諸ポリス占領隷属化を進めギリシア最強都市国家として拡張していく様子対し、他の多くポリスアテナイ専横的かつ強圧的な振る舞い苦々しく感じていた。アテナイ帝国主義的振る舞い加速するに連れデロス同盟内のポリスからも反発が起こるようになった。そして元々農業国ペルシア戦争もう一つ戦勝功績スパルタは、こうしたアテナイ拡張侵略政策相容れないポリス支援して両者激しく対立するうになる紀元前431年アテナイスパルタ中心とするペロポネソス同盟の間にペロポネソス戦争が開始された。陸戦に強いが国内多く農奴及び奴隷抱えスパルタ海戦に強いが国内多く奴隷及び国外多数隷属都市抱えアテナイは、共に政治的な不安定さ国家組織未発達から長期間遠征が無理であったため、指導者ペリクレス籠城戦選択する。陸での決戦避けて戦力温存強大な海軍合わせ海外植民地維持し長期戦耐える計画であった紀元前429年アテナイ城内蔓延した疫病19世紀にはペスト説が有力であったが、実際別の伝染病であった考えられる)によってペリクレス含めた多数人間死亡した後、漸次隷属させていた植民地離反するなどしてアテナイ劣勢に立たされ、戦争紀元前404年スパルタ勝利の内に終結した

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 20:34 UTC 版)

ニキアスの和約」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

紀元前449年ペルシア戦争勝利終結させたデロス同盟であったが、その後同盟アケメネス朝ペルシア勢力弱まるにつれ本来の性格失い同盟対すアテナイ支配力強まっていった。デロス島置かれてあった財務局紀元前454年アテナイ移されペリクレス時代になると、同盟アテナイ帝国へと変貌させられた。年賦金当初総額460タラント紀元前425年には総額ほぼ1500タラント上がり、それらはもっぱらアテナイのための神殿建築軍資金重要な資金源となった同盟都市はもはや政策立案参画することなく事実上アテナイ属国化したアテナイ帝国発展多くギリシア都市自治破壊しあるいは脅かすにいたり、アテナイと並ぶギリシア都市指導的立場だったスパルタは自らの地位への脅威感じアテナイへの不信強めスパルタ中心とするペロポネソス同盟アテナイ中心とするデロス同盟対立深刻化していった。 そして紀元前431年スパルタ同盟諸市の要請もあり、アッティカ侵入、ペロポネソス戦争が始まったニキアスの和約までの前半アルキダモス戦争とも呼ばれ戦いアテナイ側の二倍重装歩兵をもつスパルタ側が陸から包囲したのに対し圧倒的な海軍力を誇るアテナイは、ペリクレス指導下市民を城壁内に籠城させ、陸上では防御海上では攻撃という戦略出た。この戦略リオンナウパクトスなどの海戦勝利など戦争アテナイ側の実質的勝利寄与し途中猛威ふるった悪疫によって人口4分の1ペリクレスを失うという打撃を受けながら戦局有利に展開していった。

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 00:48 UTC 版)

デルキュリダス」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

デルキュリダスはペロポネソス戦争中の紀元前411年の夏にアビュドスアテナイとの同盟から離反させるために部隊と共にヘレスポントス送られアビュドス、そしてランプサコスをスパルタにつけてその任を果たした

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ペロポネソス戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 07:44 UTC 版)

リュサンドロス (提督)」の記事における「ペロポネソス戦争」の解説

リュサンドロスはペロポネソス戦争の後半スパルタ艦隊指揮した。彼は紀元前405年にペロポネソス戦争最後海戦アイゴスポタモイの海戦アテナイ艦隊戦った。この海戦リュサンドロスは敵を油断させた後に奇襲するという作戦アテナイ艦隊完膚なきまでに破りアテナイ穀物輸送ルート押さえたその後アテナイスパルタ軍に包囲され、翌紀元前404年無条件降伏追い込まれた。

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