シケリアのディオドロス
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シケリアのディオドロス (Διόδωρος Σικελιώτης, Diódôros Sikeliôtès, ディオドーロス・シケリオーテス, ラテン語名 Diodorus Siculus, ディオドルス・シクルス, 紀元前1世紀)は、シケリア(シチリア)島で生まれた古代ギリシアの歴史家である。
生涯
ディオドロスはユリウス・カエサル、アウグストゥスと同時代の人物で、シケリアのアグリゲントゥムで生まれた。その後の彼の生涯は詳しくは判っていないが、『歴史叢書』の記述から紀元前60年から紀元前57年にかけてエジプトを旅し、ローマにしばしば滞在し、少なくとも紀元前21年までは生きていたことが明らかである。
歴史叢書
ディオドロスは歴史書として『歴史叢書』(古代ギリシア語:Βιβλιοθήκη ἱστορική, Bibliotheke Historike, ラテン語: Bibliotheca Historica)を残した[1]。
作品は3部40巻からなり、そのうち1巻から5巻(各国の神話)、11巻から20巻(紀元前480年から302年の年代誌)が完全に伝わっており、その他の巻では、断片のみ。
内容的にはキュメのエポロス(Ephoros, 紀元前4世紀)、カルディアのヒエロニュモス(Hieronymos, 紀元前4世紀後半)を初めとする先人の歴史学者の作品の記述をつなげたもので独創性は低いとされるが、これらの先行作品がほぼ散逸してしまっているため、史料として価値が高い。
日本語訳
- 『ディオドロス 神代地誌』 飯尾都人訳編、龍渓書舎 1999年 ISBN 4844784722 (全40巻中最初の6巻のみ訳出)
- 『アレクサンドロス大王の歴史』森谷公俊訳註・解説、河出書房新社 2023年。下記で部分公開
ネット公開されているテキスト
- Bill Thayer's Web Site (英語訳)
- HODOI ELEKTRONIKAI Du texte à l'hypertexte(フランス語とギリシア語の対訳)
- 『帝京史学』においてアレクサンドロス大王の東征を扱った17巻の訳注が、森谷公俊(帝京大学名誉教授)によって連載され、2012年9月現在三回目で、全118章のうち83章まで連載されている。ネットでも公開されており、無料で読める(帝京史学)。
- 史料室(日本語訳)
脚注
- ^ 鶴岡真弓『ケルト再生の思想 ハロウィンからの生命循環』筑摩書房、2017年、114頁。ISBN 978-4-480-06998-6。
シケリアのディオドロス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:06 UTC 版)
古代の歴史家ディオドロスは、後世クフは彼自身の国民から余りにも忌み嫌われており、葬儀を行う神官達は石棺とクフの遺体を、隠された別の墓に秘密裡に移したと主張している。この叙述で彼はギリシアの学者の見解を強化し確認した。つまりクフのピラミッド(他の二人のピラミッドも同様)は奴隷労働の結果であったに違いないという見解である。しかし同時に、ディオドロスはヘロドトスからは距離を置いており、ヘロドトスは「御伽噺と滑稽なフィクションのみを伝える」と論じている。ディオドロスは彼の時代のエジプト人がピラミッドの建造者が誰かという事を自分に説明できなかったと主張する。彼はまた、通訳を本心から信用してはいないと述べており、本当の建築者はクフではなく誰か別人かもしれず、クフのピラミッドはハルマイス(Harmais)という名前の王が建てた物で、カフラーのピラミッドはイアフメス2世(アマシス2世)によって建てられたと考えられ、メンカウラーのピラミッドは恐らくイナロス1世によるものとしている。 ディオドロスはクフのピラミッドは美しく白く覆われていたと述べているが、その上には蓋がされていると言っている。従ってピラミッドには既にピラミディオンは無かった。彼はまた、ピラミッドは最後の石灰岩の外装材で仕上げられる時に除去された傾斜路を用いて建てられたと考えている。ディオドロスは総労働者数は300000人であり、建築作業は20年続いたとしている。 ディオドロスの記録はヘロドトスの物より信憑性があるという評価を受けることがある。なぜならディオドロスは明らかにヘロドトスよりもずっと批判的な視点を持って説話を収集したからである。
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