クフのピラミッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:34 UTC 版)
「エーリッヒ・フォン・デニケン」の記事における「クフのピラミッド」の解説
エーリッヒ・フォン・デニケンは、1968年の書籍『未来の記憶』で、ギザの大ピラミッドに関する多くの考えを提出し、古代エジプト人は実際はピラミッドを建てたたいへん進歩した道具を持っていなかった、労働者の証拠が無い、そしてエジプト人がその正確な位置にピラミッドを建築するには地球とその地理学に関するあまりに「詳し」('intimate')すぎる知識があると言った。しかしながら、建築の技術はじゅうぶん理解されているし、エジプト人が使用した道具は知られているし、それらの道具によって採石場に残された跡はなおも目に見えるし、そして道具の多くの例は博物館に保存されている。フォン・デニケンは、必要なブロックを切り、それを建築場所にひっぱるならばエジプト人はあまりに長くかかったであろうと主張している。しかしノヴァ(Nova)のドキュメンタリーは、どれくらいすばやく石のブロックは入手し得る道具で切ることができるかを実演し、そして移動で使用されたローラーの例を示している。フォン・デニケンはまた、彼らの道具には多くの問題があると言ったし、そして彼によれば、エジプト人は先史が無いので、たとえ大ピラミッドの前にエジプトに建てられたピラミッドがあるとしても、彼らはとてもこれらの大きなピラミッドを建築することができたはずがない。フォン・デニケンは、先史が無いと信じたので、彼は、どのようにして、いつ、あるいは、なぜこれらのピラミッドが建てられたかについて全く知らないと提案した。フォン・デニケンはまた、エジプト人は最初から完全なピラミッドを建てたと主張しているが、しかし無数のピラミッド先駆者が生き残り、エジプトの建築者によって犯され訂正された誤りを示し、それらは技術を完全にしている。これらには、単なるマスタバ、ジェゼル王のピラミッド、そしていわゆる屈折ピラミッドも含まれている。のみならず、書籍において彼はまた、エジプトの働き手の証拠が無いから彼らは外からの助力を得なければならなかったと言っている。しかしながら、考古学者らは、働き手がそのなかに住んだであろう建築の証拠を見つけている。のみならず、そのうえ働き手が居住地域に持っていた製パン所、下水道システムもまた、ある。また、そのうえ働き手が葬られた墓があり、そして骸骨のうちいくつかは治療されていたのが判っていたし、これが働き手が十分に世話されていたことを証明する助けになっている。これのために、彼らは十中八九、エジプト人であった、もしそうででなければ彼らはネーティヴなエジプト人でなかったとしても同じように十分に世話されていなかったかもしれない。フォン・デニケンは、クフのピラミッドの高さの1000000倍が太陽までの距離であると主張している。しかし実際は計算では、わずか91000マイルという数字が出た。それのみならず、彼は、大ピラミッドは複数の大陸を分ける中央線上に在ると、また、エジプト人は、宇宙人だけが与え得る進歩した技術なしではエッジを真の北と一線にすることはできなかったと述べている。しかしながらエジプトの建築者らは、星の観測で北を知る簡単な方法を知っていた。古代エジプトの天文学者らは、そしてもしかしたら農夫も、多くの時間を費やして星々を研究したが、これは、どれだけ時間が経ったかを彼らが知る助けになったからで、彼らはそれを知る必要があったので、彼らは食糧を得るためにいつ穀物を植え始めるべきかを知った。現代のエジプト学者らは、メルケト(merkhet)という物の、人工遺物とその線画を見つけているが、そのおかげで古代エジプト人はどの方位が北であるかを決めることができた。彼らは、ただ北極星のみにもとづいて算出し、そして他の星々がメルケトと一線になるときその位置をつきとめもした。実際、フォン・デニケンは、書籍の中で、エジプト人が多くの時間を費やして星々を研究したことに注目したのだ。古代エジプト人は、信じられないことに、時間の経過に気づいていたが、これは彼らが星を研究する方法を知っていたからであり、それだから彼らは、星と時間との関係を理解する助けになるフォン・デニケンの古代の宇宙飛行士のような外部の力を必要としなかったであろう。
※この「クフのピラミッド」の解説は、「エーリッヒ・フォン・デニケン」の解説の一部です。
「クフのピラミッド」を含む「エーリッヒ・フォン・デニケン」の記事については、「エーリッヒ・フォン・デニケン」の概要を参照ください。
- クフのピラミッドのページへのリンク