在位期間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:06 UTC 版)
クフがどの程度の期間エジプトを統治したのかは未だに明白ではない。なぜならば、後世の歴史的文書は相互に矛盾し、同時代の資料は乏しいからである。第19王朝時代に作成されたトリノ王名表はクフに23年の在位年数を与えているが、古代の歴史家ヘロドトスは50年とし、マネトは63年としている。これらの数値は現在では古くなった情報源の誇張もしくは誤読によるものと考えられている。 クフの同時代史料として三つの重要な情報がある。一つ目はリビア砂漠のダフラ・オアシスで発見されたもので、クフのホルス名を含む「メフェトの旅行、ホル・メジェドゥの下で13回牛を数えた後」という記事が石碑に刻まれている。 第二の記録は、クフのピラミッドの埋葬室の上にある重力軽減の間から発見された。これらの碑文は「クフの友人達」という名前を与えられた労働者達に言及しており、そのそばに「17回目の牛を数える年」という記述がある。 そして、第三の記録としてワジ・アル・ジャルフから、正しい治世年数を得るためのこれまでにない証拠が得られた。発見されたいくつかのパピルス断片には、現在のワジ・アル・ジャルフにあった王室用の港からの手書きの報告書が含まれている。この記録は、「ホル・メジェドゥ(Hor-Mejedw)の下で13回牛を数えた後の年」に貴重な鉱石とトルコ石を積んだ王室専用の船が到着したことを述べている従って、クフの治世で最もよく知られる特定された年は「13回牛を数えた後の年」である。 現代のエジプト学者達はクフの在位年数の謎を明らかにするためにスネフェルの治世に注目している。彼の時代、牛は2年に1回数えられていた。この牛を数えるという行為はエジプト全土で行われる税金の徴収額を決定する経済的イベントであった。同時代史料とパレルモ石碑文の最新の研究は、クフ王治世下でもこれまで考えられていたように牛は毎年ではなく2年に1回数えられていたという説を強化している。 トーマス・シュナイダー、マイケル・ハース、ライナー・シュタデルマンのようなエジプト学者達は、トリノ王名表の編者が古王国時代前半に牛の頭数確認が隔年で行われていたことを考慮していたのかどうか疑問視している。第19王朝時代にはこの課税は毎年行われていた。 要約すると、もし重力軽減の間の碑文を、2年に1回の牛の頭数確認に基づいて解釈するならば、クフは34年以上在位していたことになる。もしトリノ王名表の編者が隔年の課税という古い制度を考慮していないとするならば、クフは46年間在位したという風に読み取れる。
※この「在位期間」の解説は、「クフ」の解説の一部です。
「在位期間」を含む「クフ」の記事については、「クフ」の概要を参照ください。
- 在位期間のページへのリンク