ワジ・アル・ジャルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:06 UTC 版)
クフの治世の政治についての新たな証拠は最近になって東部エジプトの紅海に面した古代の港ワジ・アル・ジャルフで発見された。この港の痕跡は既に1823年にジョン・ガードナー・ウィルキンソンとジェームズ・ブルトンによってエジプトの東海岸で発掘されていたが、すぐに放棄され忘れ去られていた。1954年、フランス人の学者フランソワ・ビセー(François Bissey)とルネ・シャボー・モリソウ(René Chabot-Morisseau)がこの海岸を再発掘したが、スエズ危機のためにこれも短期間で中断した。2011年7月、French Institute of Oriental Archeology (IFAO)の主催で、フランスのエジプト学者ピエール・タレー(Pierre Tallet)とグリゴリー・マフラー(Gregory Marouard)が指揮する考古学チームが同じ場所で発掘を再開し、数百のパピルス片を発見した。 これらのパピルスのうち10枚は非常に保存状態が良い。文書の大部分はクフの治世第27年の物であり、中央政府が船員と港湾労働者にどのように食料と道具を送ったかを説明している。この重要な文書は古王国時代の典型的なフレーズによって保護されており、王自身に宛てられた物である。クフの名前は彼のホルス名で登場している。これは王が存命中である場合の典型的な書式であり、もし支配者が既に鬼籍に入っていた場合には彼のカルトゥーシュ名(即位名)か誕生名が使われた。また同時代の極めて興味深い文書に、大ピラミッドの建設関係者メリラーの日記がある。現代の研究者はこの日記を使ってメリラーの人生のうちの三か月間を再構築することができ、第4王朝時代の人々の生活に新たな知見を齎した。これらのパピルスはエジプトで発見された刻印されたパピルスの最初期の例である。石灰岩でできた港の壁で見つかった別の碑文では、商品交換を支配する王室書記官長イドゥ(Idu)が言及されている。 クフのカルトゥーシュ名はまた、遺跡の重い石灰岩のブロックにいくつか刻まれている。この港は戦略的、経済的にクフにとって重要であった。なぜなら船団がシナイ半島南端のトルコ石、銅や鉱石等貴重な物資を運んできたからである。このパピルス片はいくつかの商品品名を示す保管リストを含んでいる。また、ワジ・アル・ジャルフの対岸にあるシナイ半島西岸の港についても言及している。それは古代の港テル・ラス・ブドランであり、1960年にグレゴリー・マフラーによって発掘された。このパピルスと要塞は、史上初めて紅海を渡る航路を明らかにしている。これはエジプトで考古学的に検出された最も古い航路である。タレーによれば、この港は黄金の地プントへの探検が始まった古代エジプトの伝説的な外洋港であるかもしれない。
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