イアフメス2世
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「エジプト第26王朝」の記事における「イアフメス2世」の解説
ヘロドトスの『歴史』には、イアフメスの人格や政策が詳細に記録されている。その記述に従うと、元来イアフメス2世はシウプという町の平民の出であり、若い頃より酒好きで悪ふざけを好み、しばしば盗みを働いて逮捕されるなどしていたという。王位についた後もこの性分は改まらず、朝のうちは政務に勤しむが、その後は酒を飲みふざけ散らしていた。王のこのような振る舞いを心配した臣下達は王を諫めたが、イアフメス2世はまるで聞く耳を持たなかった。以下は『歴史』第2巻173節に記された臣下とイアフメス2世のやり取りである。訳文は松平千秋のそれに従う。 「王よ、あまりにも下賎な振舞いをなされるのは、国王としての御身を律せられる正しい仕方ではありますまい。王様にはいかめしい玉座にいかめしくお座りになって、終日政務をお執りになることこそ似つかわしいのでありまして、かくてこそエジプト臣民も偉大な統治者を戴いていることを自覚いたしましょうし、王様の御評判も良くなるに相違ありません。現在のようななさられ方は、決して帝王に相応しいことではありません。」 「弓を所持するものは、これを用いる必要のある時は引き絞るが、使い終わればゆるめておくものじゃ。弓というものはいつも張ったままにしておけば折れてしまい、肝心な時に物の用に立たぬようになる。人間の在り方もこれと同じことじゃ。常時謹厳に徹せんとのみ心掛け、時にはくつろいで遊ぶという気持がなくば、本人も気付かぬ内に乱心したり呆けたりすることにもなろう。予はこの理を心得ているが故に、両者をほどよく使い分けているのだ。」 実際に当初はイアフメス2世が平民であることを理由に、エジプト人は彼を軽んじたと言う。しかし彼は次第に周囲の支持を獲得することに成功した。ヘロドトスによれば、イアフメス2世の治世下においてエジプトは空前の繁栄を迎えたと言う。彼は各地で熱心に建築活動を行う一方、ナウクラティスに移住したギリシア人達に商業上の特権を与えて対外貿易の拡張を図った。また、ギリシア贔屓であり、デルフォイのアポロン神殿が火事で崩壊した際には多額の再建費用を提供したとも伝えられる。そして対外的にもキプロスを服属させることに成功し、新バビロニアとも一時的な衝突はあったものの関係改善に成功して国境を安定させた。
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