反乱と簒奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 21:52 UTC 版)
リビュアから生還したエジプト兵達は、アプリエス王が勝つ見込みがないのを知りながら故意に出兵に踏み切ったものであるとして反乱を起こした。アプリエスは兵士達の反乱を説得によって鎮めようと試み、ヌビア遠征で頭角を現していたイアフメス2世(英語版)(アマシス2世、アモシスとも)を派遣した。イアフメス2世は反乱兵達と交渉を重ねたが、反乱兵達はイアフメス2世に対し、自分達がアプリエスよりもイアフメス2世の方をこそ王として相応しいと考えていることを伝えると、イアフメス2世はそれに乗って王を名乗り反乱側に寝返ったのであった。 イアフメス2世が反乱側についたことが知れると、アプリエスの人事上の失策 も手伝って多くのエジプト人がイアフメス2世側に付いた。このためアプリエスはイオニア系ギリシア人とカリア人の傭兵を中心とした軍を持って反乱討伐に向かい、モメンピス(現:メヌフ)の町でイアフメス2世の軍勢と戦った。アプリエスの傭兵達は勇敢に戦ったが、数が劣ったために敗北を喫し、アプリエスはイアフメス2世に捕らえられた。そしてアプリエスは処刑され、その遺体は歴代の王達と同じように王に相応しい礼式に則って埋葬された。 こうしてイアフメス2世が王位を簒奪することに成功し、以後40年以上にわたってエジプトを統治することになる。
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