反乱と暴動、政治への波及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:43 UTC 版)
「西ローマ帝国」の記事における「反乱と暴動、政治への波及」の解説
ローマ帝国の最大の敵国パルティアの最大版図 紀元前60年 西方において主な敵は、ライン川やドナウ川の向こうの蛮族だったと言ってよい。アウグストゥスは彼らを征服しようと試みたが、最終的に失敗しており、これらの蛮族は大きな不安の種となった。一方で、東方にはパルティアがあった。 ローマで内戦が起きた場合、これら二方面の敵は、ローマの国境を侵犯する機会を捉えて、襲撃と掠奪を行なった。二方面の軍事的境界線は、それぞれ膨大な兵力が配置されていたために、政治的にも重要な要素となった。地方の将軍が蜂起して新たに内戦を始めることもあった。西方の国境をローマから統治することは、比較的ローマに近いために容易だった。しかし、戦時に両方の国境を同時に鎮撫することは難しかった。皇帝は軍隊を統御するために近くにいる必要を迫られたが、どんな皇帝も同時に2つの国境にはいることができなかった。この問題は後の多くの皇帝を悩ますことになった。
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