ディオドロスの記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/25 14:52 UTC 版)
「エウリュメドン川の戦い (紀元前466年)」の記事における「ディオドロスの記録」の解説
ディオドロスは最初の戦いはエウリュメドン川ではなく、キュプロスで起こったとしている。彼によれば、敵がキュプロスにいると知ったキモンは250隻の艦隊で以ってそれに挑み、激戦の末敵船の多くを破壊して100隻以上を乗組員もろとも鹵獲した。敗走に転じたペルシア軍は陸に逃げ、船は敵の手に渡った。 キモンはこの勝利だけでは満足せず、エウリュメドン川河畔で宿営していたペルシアの陸軍のもとへ向かった。彼はキュプロスで鹵獲した敵船を偽装し、ペルシア風の格好をさせた兵士を乗り込ませた。そしてそれらを敵陣に向わせ、ペルシア軍はそれを味方と思って受け入れた。そしてその夜、デロス同盟軍は(おそらく内外から)夜襲を仕掛け、敵を大混乱に陥れた。戦いの最中、ペルシア軍の指揮官フェレンダテスは捕えられて殺された。この戦いで多くのペルシア軍が殺傷され、生き残った者は海に逃げた。 この二つの記録のうち、プルタルコスの方が信頼が置かれている。というのも、それは戦いから近い時代に生きていた正確な典拠とされるトゥキュディデスの短い記録と符合しているからである。
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