ダレイオス3世 (古代ペルシア語 : 𐎭𐎠𐎼𐎹𐎺𐎢𐏁 d-a-r-y-v-u-š(Dārayavaʰuš) ダーラヤワウシュ 、紀元前380年 頃 - 紀元前330年 7月頃)は、アケメネス朝 ペルシア帝国 最後の王 (在位: 紀元前336年 - 紀元前330年7月頃)。
マケドニア王 アレクサンドロス3世 に敗北したペルシア王として知られている。
名前
本名はアルタシャータ (アルタシャタともいう、アッカド語 : Ar-ta-šá-a-ta/u 、古代ペルシア語 : *R̥tašiyāta (アルタシヤータ)<r̥ta (天則)+šiyāta (幸い) 「天則 により幸いな」)である。これはバビロンから発掘された天文日誌によって確認されている。一方、ローマ の歴史家ユスティヌス は本名をコドマンヌス(ラテン語 : Codomannus )としている。即位に際し、アルタシャータはダレイオス(ダーラヤワウシュ)を名乗った。
前半生と即位
アルタシャータはペルシア 王 ダレイオス2世 の息子オスタネス(英語版 ) の息子アルサメスとその妻である王女シシュガンビス の間に生まれたとされる[ 1] 。しかし、ストラボン はアルタシャータは王族ではなかったと述べている[ 2] 。アルタシャータは紀元前350年代 のアルタクセルクセス3世 のカドゥーシオイ(英語版 ) に対する遠征で頭角を現し、その勇敢さによりアルメニア 総督 に任命された。その後、アルタシャータは王の「郵便制度」の責任者という高い地位に就いたと考えられている。ギリシアの著述家はアルタシャータが王の特使にして奴隷となったとしているため、アルタシャータは王の従者(古代ペルシア語 : *bandaka )となったと考えられている。
紀元前336年 、アルタクセルクセス4世(アルセス )が宦官 にして大臣 のバゴアス(英語版 ) によって家族とともに毒殺されると、アケメネス朝の直系は事実上断絶した。そのため、傍系の王族とされるアルタシャータが友人であったバゴアスの擁立によってダレイオス3世として王位を継いだ。バゴアスはダレイオス3世の毒殺をも企てたが、この陰謀は露見し、ダレイオス3世はバゴアスに毒による自殺を命じた[ 3] 。
ダレイオス3世の治世初期、バビロニア とエジプト で反乱が起こっていた可能性があるが、もしあったとしてもすぐに鎮圧された。
敗北
紀元前334年 春、マケドニア王 アレクサンドロス3世 はペルシア帝国への侵攻を始めた。グラニコス川の戦い でペルシア軍はマケドニア軍に敗れ、ダレイオス3世の娘婿ミトリダテス はアレクサンドロスに槍で顔面を突かれて戦死した。
紀元前333年 11月頃、ダレイオス3世はペルシア軍を率いてマケドニア軍の背後にあたるキリキア のイッソス(英語版 ) に進軍し、病気や負傷のためにそこに残されていたマケドニア兵を殺害した。ダレイオス3世が背後にいることを知ったアレクサンドロスは引き返し、イッソス近くのピナロス川で両軍の戦闘が始まった(イッソスの戦い )。ダレイオス3世はこの戦いの最中に戦場から逃亡し、これを知ったペルシア軍も敗走した。こうして数の上で有利であったにもかかわらずペルシア軍は敗れ、ダレイオス3世の母シシュガンビスと王妃スタテイラ(英語版 ) と子供たちはアレクサンドロスに捕らえられた。ダレイオス3世は家族の開放を数回求めたが、アレクサンドロスはダレイオス3世が臣従しない限り認めないとした[ 4] 。その一方で、ダレイオス3世はアレクサンドロスによる自身の家族への寛大な待遇に驚き、そして称えたいう[ 5] 。
紀元前331年 10月1日 、再び大軍を編成したダレイオス3世はアッシリア のアルベラ近くのガウガメラでマケドニア軍を迎え撃った(ガウガメラの戦い またはアルベラの戦い)。数の上で有利であったにもかかわらず、この戦いにおいてもペルシア軍は敗れ、ダレイオス3世は再び戦場から逃亡した。バビロン 、スーサ 、そしてペルセポリス を含むペルシア本土が相次いで陥落していたとき、ダレイオス3世はエクバタナ に逃亡していた。そして、アレクサンドロスがエクバタナに向かって進軍すると、ダレイオス3世はさらにバクトリア へ向かって逃亡した。
殺害
紀元前330年 半ば、ダレイオス3世は逃亡中にバクトリア総督ベッソス や大臣ナバルザネス(英語版 ) らに裏切られ、捕らえられた。そして荷車で連行されている途中の7月頃、ダレイオス3世はアレクサンドロスが迫ってきていることを知ったベッソスらによってパルティア で刺殺された。アレクサンドロスはダレイオス3世のために王にふさわしき葬儀を執り行い、その遺体はペルシア本土の王墓に埋葬されたが、その正確な場所は不明である。娘のスタテイラ とドリュペティス はそれぞれ後にアレクサンドロスとヘファイスティオン と結婚した。ダレイオス3世の死後、その親族であったベッソスはアルタクセルクセス5世の名で王を自称したが、間もなくアレクサンドロスに処刑された。こうして約220年続いたペルシア帝国は滅亡した。
イランの民族史において
『シャー・ナーメ 』などのイランの民族史に登場するイランの王朝であるカヤーン朝(英語版 ) (カヤーニー朝)の最後の王ダーラー(英語版 ) (ダーラーブ2世)は一般的にダレイオス3世に相当するとされている。ダーラーはカイ・ダーラーブ(英語版 ) の息子であり、異母兄にイスカンダル(アレクサンドロス)がいる。イスカンダルはダーラーへの貢納の支払いを拒み、ダーラーと争った。この最中、ダーラーは大臣のマーヒヤールとジャーヌーシヤール(ナバルザネスとベッソス)によって殺害された。
脚注
外部リンク
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ダレイオス3世 に関連するカテゴリがあります。
先代
アルタクセルクセス
古代エジプト 王
アケメネス朝(第31王朝 )
前336年 - 前332年
次代
アレクサンドロス
家系図(英語版 )
アケメネス朝 の王 (紀元前550年 - 紀元前330年)
イタリック体 表記は伝説上の人物の可能性あり。