クセルクセス2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/06 08:17 UTC 版)
| クセルクセス2世 𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠 |
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| ペルシア王 | |
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クセルクセス2世の時代のものと考えられる硬貨
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| 在位 | 紀元前424年 |
| 別号 | 大王 諸王の王 諸邦の王 古代エジプト王? |
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| 死去 | 紀元前424年 ペルセポリス |
| 王朝 | アケメネス朝 |
| 父親 | アルタクセルクセス1世 |
| 母親 | ダマスピア |
| 宗教 | イラン宗教(ゾロアスター教?) |
クセルクセス2世(古代ペルシア語: 𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠 Xšayāršā フシャヤールシャー、古代ギリシア語: Ξέρξης Xérxēs クセルクセース、? - 紀元前424年)は、アケメネス朝ペルシア帝国の王(在位:紀元前424年)。
クセルクセス2世は先代の王アルタクセルクセス1世の息子(母は王妃ダマスピア)で、父王の在位中は王太子であった。紀元前424年に父王が崩御すると王位を継いだが、わずか45日後に異母弟(母はバビロニア出身の側室アロギュネ)のソグディアノスによって殺害された。ソグディアノスはそのまま王位に就いたが、彼もまたその6ヶ月と15日後に両王の異母弟(母はバビロニア出身の側室コスマルテュデネ)でヒュルカニア総督のオコスによって殺害された。その後、オコスは王ダレイオス2世として即位した。
以上の事績がクニドスの歴史家クテシアスが伝えるところであるが、今日の歴史学ではクテシアスの著述は信憑性に乏しいと評価されている。同時代のバビロニアの史料によれば、おそらくはアルタクセルクセス1世が崩御した後、3兄弟がそれぞれの領地に分立して後継者を自称し、最終的にダレイオス2世が勝利したと考えるのが妥当である。アルタクセルクセス1世の最後の碑文は紀元前424年12月24日、ダレイオス2世の最初の碑文は紀元前423年1月10日と年代付けられている[1]。
脚注
- ^ “Xerxes II and Sogdianus - Livius”. www.livius.org. 2025年10月27日閲覧。
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