スメルディス
スメルディス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/28 13:15 UTC 版)
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| スメルディス 𐎲𐎼𐎮𐎡𐎹 |
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| ペルシア王 | |
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ベヒストゥン碑文に描かれたスメルディスまたはガウマータ
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| 在位 | 紀元前522年 |
| 別号 | 大王 諸王の王 諸邦の王 バビロン王 古代エジプト王 |
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| 死去 | 紀元前522年 |
| 子女 | パルミュス |
| 王朝 | アケメネス朝 |
| 父親 | キュロス2世 |
| 母親 | カッサンダネ |
| 宗教 | イラン宗教(ゾロアスター教?) |
スメルディス(古代ペルシア語: 𐎲𐎼𐎮𐎡𐎹 Bardiya バルディヤ、古代ギリシア語: Σμέρδις Smérdis ズメルディス(ヘロドトス)または古代ギリシア語: Τανυοξάρκης Tanuoxárkēs タニュオクサルケース(クテシアス)、? - 紀元前522年または紀元前525年)は、アケメネス朝ペルシア帝国の初代王キュロス2世の息子で、王カンビュセス2世の弟。王(在位:紀元前522年)であった可能性があり、その生涯には議論がある。
ヘロドトスの『歴史』が伝えるところによると、紀元前525年のエジプト遠征を前にしたカンビュセス2世は、夢のお告げで弟のスメルディスに王位を奪われるのではないかと疑念を抱き、密かに殺させたという。ところが秘密裏であったことが仇となり、カンビュセス2世がエジプトにいる間に、ペルシア本国では神官(マギ)のガウマータ(古代ペルシア語: 𐎥𐎢𐎶𐎠𐎫 Gaumāta、古代ギリシア語: Σφενδαδάτης Sphendadátēs スペンダダテース(クテシアス))がスメルディスに成りすまし(ヘロドトスはスメルディスとガウマータが似ていたと述べている)、ペルシアの王位を簒奪したという。のちスメルディスの娘パルミュスは、ガウマータを倒したダレイオス1世の妻となった。
以上がヘロドトスの記述であるが、近年の研究ではカンビュセス2世の次の王は偽スメルディスのガウマータではなくスメルディス本人であった、つまり簒奪者は正当な王位継承権を持っておりガウマータとされたスメルディスではなく、それを倒したダレイオス1世本人であったとする説が有力になっている。この場合、ヘロドトスは簒奪者ダレイオス1世が捏造したプロパガンダの偽史をそのまま後世に伝えたことになる。
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