アケメネス朝の創設者としてのダレイオス1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 03:00 UTC 版)
「ダレイオス1世」の記事における「アケメネス朝の創設者としてのダレイオス1世」の解説
通常、ダレイオス1世はキュロス2世、カンビュセス2世に続くアケメネス朝の第3代の王であるとされる。一方、ベヒストゥン碑文でダレイオス1世が自ら語るところによれば彼はアケメネス(ハカーマニシュ)家の第9代の王である。しかし、近年では偽スメルディス(ガウマータ)の排除を巡る伝承に含まれる矛盾や、その後相次いだ反乱などから、王位継承にまつわる一連のダレイオス1世の主張はプロパガンダに過ぎず、実際にはダレイオス1世の方が簒奪者であったとする見解が有力である。 ギリシア史・マケドニア史研究家の森谷公俊は更に論を進め、アケメネス(ハカーマニシュ)朝を実際に創出したのはダレイオス1世であったとする。ベヒストゥン碑文においてダレイオス1世の祖先としてあげられるヒュスタスペス(ウィシュタースパ)、アルサメス(アルシャーマ)、アリアラムネス(アリヤーラムナ)、テイスペス(チャイシュピ)、アケメネス(ハカーマニシュ)の中に王であった人物は存在しない。テイスペスはキュロス2世の祖父にあたるキュロス1世(クル1世)の父であるので、碑文を全面的に信用したとしても、ダレイオス1世は4代前でようやく王家と繋がる傍系であったことがわかる。重要なことは、キュロス2世自身が語る系譜にはアケメネスという人物が登場しないことである。キュロス2世は「私はキュロス(クル)、偉大なる王、アンシャンの王カンビュセス(カンブジヤ)の子、偉大なる王、アンシャンの王キュロスの孫、テイスペス(チャイシュピ)の裔」としか宣言していない。そして、キュロス2世、アルサメス、アリアラムネスの碑文が見つかっているが、その全てがダレイオス1世以降の時代に追刻されたものであることがわかっている。また、ダレイオス1世は、王位に就いた後、キュロス2世の名前で「アケメネス家のキュロス」という文言を含む碑文をいくつも刻み、更にキュロス2世やカンビュセス2世、スメルディスの妻や娘全てと結婚し、王家の血統を独占することに熱心であった。これらの事から、キュロス2世は簒奪者ダレイオス1世によってアケメネス朝の王として再定義されたのであり、そのことからダレイオス1世はペルシア帝国の再創造者であったと言えると言う。
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