テイスペス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/28 21:49 UTC 版)
テイスペス | |
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アンシャン王 | |
在位 | 紀元前675年頃 - 紀元前640年頃 |
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出生 | 紀元前700年頃 |
死去 | 紀元前640年頃 |
子女 | キュロス1世 アリアラムネス |
王朝 | アケメネス朝 |
父親 | アケメネス |
テイスペス(Teispes、古代ギリシア語: Τείσπης テイスペース、ペルシア語: چش پش チーシュピーシュ、古代ペルシア語:チシュピシュ[1]、バビロニア語:シシュピシュ、エラム語:ツィシュピシュ、紀元前700年頃 - 紀元前640年頃)は、アンシャン王[2]。ベヒストゥン碑文によればアケメネスの息子で、アケメネス朝の二代目にあたる。推定在位期間は紀元前675年頃 - 640年頃。
来歴
ベヒストゥン碑文およびキュロス・シリンダーなどの楔形文字碑文によれば、ダレイオス1世とキュロス2世はその先祖をともにテイスペスとしている。このことから、テイスペスがふたりの息子であるキュロス1世(キュロス2世の祖父)とアリアラムネス(ダレイオス1世の曾祖父)に領土を分与したという説が発生した[3]。この説によれば、アリアラムネスはペルシス地方を、キュロス1世はエラム地方のアンシャンを相続した。
しかし、アンシャンとペルシスは同じ場所を意味した可能性が高く[4]、この説は疑わしい。アリアラムネスが王であった証拠はなく[3]、子孫のダレイオス1世がそう称しているだけかもしれない。
テイスペスの名はヘロドトス『歴史』の7巻に出てくるアケメネス朝の系図にも見えるが、ヘロドトスの記述は混乱しており、テイスペスがふたりになっている。
ベヒストゥン碑文の記す系図は以下の通りである。
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アケメネス | |||||||||||||
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テイスペス | |||||||||||||
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キュロス1世 |
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アリアラムネス | ||||||||||||
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カンビュセス1世 |
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アルサメス | ||||||||||||
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キュロス2世 |
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ヒュスタスペス | ||||||||||||
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カンビュセス2世 |
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ダレイオス1世 | ||||||||||||
脚注
参考文献
- Shahbazi, A. Sh (2011). “ARIYĀRAMNA”. イラン百科事典. II Fasc. 4. pp. 410-411
- Schmitt, Rüdiger (2011). “ČIŠPIŠ”. イラン百科事典. V. Fasc. 6. pp. 600-601
- Stronach, David (1974). “Achaemenid Village I at Susa and the Persian Migration to Fars”. Iraq 36 (1): 239-248. JSTOR 4199993.
関連文献
- Heidemarie Koch: Achämeniden-Studien. Harrassowitz, Wiesbaden 1993, ISBN 3-447-03328-2.
- Texte aus der Umwelt des Alten Testaments. Band 1 - Alte Folge, Gütersloh 1985.
- Josef Wiesehöfer: Das antike Persien 550 v. Chr bis 650 n. Chr.. Patmos, Düsseldorf 2005, ISBN 3-491-96151-3.
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