クセルクセス1世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 統治者・君主 > ファラオ > クセルクセス1世の意味・解説 

クセルクセス1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 12:59 UTC 版)

クセルクセス1世
𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠khašāyāršā
諸王の王
在位 紀元前485年 - 紀元前465年
戴冠式 紀元前485年10月
別号 エジプト王(ファラオ

出生 紀元前519年
死去 紀元前465年
配偶者 アメストリス
子女 ダレイオス
アルタクセルクセス1世
ティトラウステス
王朝 アケメネス朝
父親 ダレイオス1世
母親 アトッサ
宗教 ゾロアスター教
テンプレートを表示

クセルクセス1世古代ペルシア語: 𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠 - Hašayārašā - ハシャヤーラシャー, 英語: Xerxes I)は、アケメネス朝ペルシアの王(在位:紀元前486年 - 紀元前465年)。

名称

ハシャヤーラシャーに近い発音

古代ペルシア語: 𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠 - Hašayārašā - ハシャヤーラシャー、ペルシア語: خشایارشا (khašāyāršā)。

クセルクセスに近い発音

古代ギリシア語: Ξέρξης - Xerxēs - クセルクセス。

アハシュエロスに近い発音

ラテン語: Ahasuerusヘブライ語: אֲחַשְׁוֵרוֹשׁ - Ăḫašwērôš - アハシュエロス。

略歴

ナクシェ・ロスタムにあるクセルクセスの墓。

ダレイオス1世アトッサの息子。

クセルクセス1世の在位期間に関しては、紀元前496年 - 紀元前475年ごろではないかとの説もある。これはペルセポリスから出土した銘文に父ダレイオス1世との共同統治期間が示唆されているためである。

バビロニアエジプト地方に起きた反乱を武力鎮圧。

ペルシア戦争期

紀元前480年、海・陸の大軍を整えギリシア遠征を企てる。遠征の際、ヘレスポントス海峡に多数の船を並べそれらを縄で連結させた橋を架け、アトス岬に運河をきり開いて遠征軍を進め、アルテミシオンの海戦(Artemision)でギリシア海軍と戦う。この戦いはヘロドトスの『歴史』によればギリシア海軍がやや優勢であったが、後述のテルモピュライの戦いでギリシア連合軍の陸軍が敗北したためギリシア海軍が自主的にサラミスへ撤退した。

同年8月、テルモピュライの戦いでスパルタレオニダス1世を戦死させる。9月アッティカ地方を遠征したが、サラミスの海戦(Salamis)で敗れ、帰国。

紀元前479年8月、マルドニオスの率いる陸軍はプラタイアの戦い(Plataiai)で敗北、敗残海軍はミュカレの戦い(Mykale)で撃滅され、ギリシア軍の反撃に苦しむ。

ギリシア遠征で大打撃を受けたクセルクセスは帰国し、事実上クセルクセスのギリシア遠征は失敗に終わった。その後、ペルシアは大規模なギリシア遠征を行うことも無かったが、ペルシア戦争自体は息子のアルタクセルクセス1世カリアスの和約を結ぶまで継続している。

ペルシア戦争後

帰国後、有名な万国の門英語版(クセルクセス門とも)などの大規模な建築事業やユダヤ人の保護政策などを数多く行ったが、これにより国の財政がさらに圧迫され、次第に国力が衰えアケメネス朝の衰退を招くこととなる。

紀元前465年、クセルクセスは護衛隊長アルタバノス英語版に暗殺された。

逸話

クセルクセスはまた「性剛情」とされ、アフラマズダ神の崇拝を強行しようとしたといわれる。 またアフリカを周航させたともいわれる。

エステル記

旧約聖書エステル記』は、インドからクシュまでの127州を統べるペルシアまたメディアの王クセルクセスの時代を描いている。

この王は伝統的にクセルクセス1世と考えられており、かつての和訳ではアハシュエロスとされていた。

幼くして両親を失ったハダサと、彼女の父代わりの親族モルデカイは、ともにバビロン捕囚によって故国を追われたユダヤ人である。

クセルクセスは、酒宴への召し入れを拒んだワシュティ英語版に代わり、帝国全土選りすぐりの美貌をもつエステルを新たに王妃に迎えた。

このワシュティは、ヘロドトスの伝える王妃アメストリスと同一人物であるか、あるいは一夫多妻の習慣があったものと考えられている。

ある時、悪代官ハマンに土下座をしようとしないモルデカイに憤ったハマンは、彼と同じユダヤ人を皆殺しにしようと企てた。

虐殺の日を決めるため、くじが引かれた。王もまた欺かれ、全土に勅令を発した。

しかしハマンは、王妃エステルがモルデカイの育てた少女ハダサであることを知らない。

新たにエステルの設けた酒宴ですべてが暴かれ、王の逆鱗に触れたハマンは処刑され、モルデカイが新首相に任ぜられ、こうしてユダヤ人たちは守られたのである。

これを記念するプーリーム(くじ)の祭りは、今なおユダヤ人の習わしとなっている。

関連作品

音楽

漫画

映画

ゲーム

関連項目

先代
ダレイオス1世
アケメネス朝の王
紀元前486年 - 紀元前465年
次代
アルタクセルクセス1世
先代
ダレイオス1世
古代エジプト王
197代:紀元前521 - 紀元前486
次代
アルタクセルクセス1世

クセルクセス1世 (7.2-9.116)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 09:18 UTC 版)

歴史 (ヘロドトス)」の記事における「クセルクセス1世 (7.2-9.116)」の解説

ダレイオスの子ペルシアの王。紀元前480年ギリシアへ自ら遠征したが、サラミスの海戦敗北撤退

※この「クセルクセス1世 (7.2-9.116)」の解説は、「歴史 (ヘロドトス)」の解説の一部です。
「クセルクセス1世 (7.2-9.116)」を含む「歴史 (ヘロドトス)」の記事については、「歴史 (ヘロドトス)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「クセルクセス1世」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クセルクセス1世」の関連用語

クセルクセス1世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クセルクセス1世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクセルクセス1世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの歴史 (ヘロドトス) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS