クセルクセス1世とは? わかりやすく解説

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クセルクセス1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/28 11:33 UTC 版)

クセルクセス1世
𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠
ペルシア
ペルセポリスのクセルクセス1世の岩の浮き彫り
在位 紀元前486年10月 - 紀元前465年8月
別号 大王
諸王の王
諸邦の王英語版
バビロン
古代エジプト

出生 紀元前519年
死去 紀元前465年8月
埋葬 ナクシェ・ロスタム
配偶者 アメストリス
子女 ダレイオス
アルタクセルクセス1世
ティトラウステス
王朝 アケメネス朝
父親 ダレイオス1世
母親 アトッサ
宗教 イラン宗教(ゾロアスター教?)
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クセルクセス1世古代ペルシア語: 𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠 Xšayāršā フシャヤールシャー紀元前519年 - 紀元前465年)は、アケメネス朝ペルシア帝国(在位:紀元前486年 - 紀元前465年)。

名前

彼の名前は古代ペルシア語フシャヤールシャー古代ペルシア語: 𐎧𐏁𐎹𐎠𐎼𐏁𐎠 Xšayāršā)といい、「男、英雄を治める」を意味する。ペルシア語ではハシャーヤールシャー(ペルシア語: خشایارشا Xašāyāršā)、古代ギリシア語ではクセルクセース(古代ギリシア語: Ξέρξης Xérxēs)という。クセルクセス大王とも呼ばれる。

略歴

ナクシェ・ロスタムにあるクセルクセス1世陵

先代の王ダレイオス1世の息子(母は初代王キュロス2世の娘アトッサ)である。王への即位年は父王が崩御した紀元前486年ではなく紀元前496年頃であるとする説もある。これはペルセポリスから出土した銘文に父王との共同統治期間が示唆されているためである。父王が崩御した後、バビロニアエジプトで反乱が起こったが、これは鎮圧された。

ペルシア戦争期

紀元前480年、海・陸の大軍を整えギリシアに遠征した。遠征の際、ヘレスポントス海峡に多数の船を並べそれらを縄で連結させた橋を架け、アトス岬に運河をきり開いて遠征軍を進め、アルテミシオンの海戦でギリシア海軍と戦った。この戦いはヘロドトスの『歴史』によればギリシア海軍がやや優勢であったが、8月にテルモピュライの戦いスパルタ王レオニダス1世が戦死し、ギリシア連合軍の陸軍が敗北したため、ギリシア海軍は自主的にサラミスへ撤退した。9月にはアッティカを占領したが、サラミスの海戦で敗れたことによりクセルクセス1世は帰国した。翌紀元前479年8月、ギリシア軍の反撃によりマルドニオスの率いる陸軍はプラタイアの戦いで敗北し、敗残海軍はミュカレの戦いで撃滅され、ペルシア帝国のギリシア遠征は失敗に終わった。その後、ペルシア帝国は大規模なギリシア遠征を行うことも無かったが、ペルシア戦争自体は次代の王アルタクセルクセス1世カリアスの和約を結ぶまで継続している。

ペルシア戦争後

帰国後、有名な万国の門英語版(クセルクセスの門とも呼ばれる)などの大規模な建築事業やユダヤ人の保護政策などを数多く行ったが、これによりペルシア帝国の財政はさらに圧迫され、次第に国力は衰えていった。

紀元前465年、クセルクセス1世は近衛隊長アルタバノス英語版に暗殺され、長男で王太子のダレイオス英語版もこれに巻き込まれて死亡した。その後は別の息子アルタクセルクセス1世が王位を継ぎ、アルタバノスを処刑した。

逸話

クセルクセス1世はまた「性剛情」とされ、アフラ・マズダー神の崇拝を強行しようとしたといわれる。 またアフリカを周航させたともいわれる。

エステル記

タナハ旧約聖書)『エステル記』は、インドからクシュまでの127州を統べるペルシア王クセルクセス(ヘブライ語: אֲחַשְׁוֵרוֹשׁ ʾĂḥašwērōš アハシュヴェロシュ)の時代を描いている。この王は伝統的にクセルクセス1世と考えられており、かつての和訳ではアハシュエロスとされていた。

幼くして両親を失ったハダサと、彼女の父代わりの親族モルデカイは、ともにバビロン捕囚によって故国を追われたユダヤ人である。

クセルクセスは、酒宴への召し入れを拒んだワシュティ英語版に代わり、帝国全土選りすぐりの美貌をもつエステルを新たに王妃に迎えた。

このワシュティは、ヘロドトスの伝える王妃アメストリスと同一人物であるか、あるいは一夫多妻の習慣があったものと考えられている。

ある時、悪代官ハマンに土下座をしようとしないモルデカイに憤ったハマンは、彼と同じユダヤ人を皆殺しにしようと企てた。

虐殺の日を決めるため、くじが引かれた。王もまた欺かれ、全土に勅令を発した。

しかしハマンは、王妃エステルがモルデカイの育てた少女ハダサであることを知らない。

新たにエステルの設けた酒宴ですべてが暴かれ、王の逆鱗に触れたハマンは処刑され、モルデカイが新首相に任ぜられ、こうしてユダヤ人たちは守られたのである。

これを記念するプーリーム(籤の祭り)は、今なおユダヤ人の習わしとなっている。

関連作品

音楽

漫画

映画

ゲーム

関連項目

先代
ダレイオス1世
ペルシア
アケメネス朝
紀元前486年 - 紀元前465年
次代
アルタクセルクセス1世
先代
ダリアムシュ1世
バビロン
(アフシアルシュ)
アハマニシュ朝(第11王朝)
紀元前486年 - 紀元前465年
次代
アルタクシャツ1世
先代
デリウシュ1世
古代エジプト
(ヘシャヤルシャ)
第1アケメネス朝(第27王朝
紀元前486年 - 紀元前465年
次代
アルタフシャシャス1世

クセルクセス1世 (7.2-9.116)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 09:18 UTC 版)

歴史 (ヘロドトス)」の記事における「クセルクセス1世 (7.2-9.116)」の解説

ダレイオスの子ペルシアの王。紀元前480年ギリシアへ自ら遠征したが、サラミスの海戦敗北撤退

※この「クセルクセス1世 (7.2-9.116)」の解説は、「歴史 (ヘロドトス)」の解説の一部です。
「クセルクセス1世 (7.2-9.116)」を含む「歴史 (ヘロドトス)」の記事については、「歴史 (ヘロドトス)」の概要を参照ください。

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