サラミスの海戦とは? わかりやすく解説

サラミスの海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 14:21 UTC 版)

サラミスの海戦(サラミスのかいせん、ギリシア語: Ναυμαχία της Σαλαμίνας英語: Battle of Salamis)は、ペルシア戦争最中の紀元前480年9月、ギリシアのサラミス島近海で、ギリシア艦隊とペルシア艦隊の間で行われた海戦。ヘロドトスの『歴史』(第8巻)に詳しい。


注釈

  1. ^ アテナイがファレロン湾を集結地と主張したのは、市民の避難と、最初からイストモスでの決戦を想定していたペロポネソス半島の諸都市を牽制する意味もあった(ヘロドトス『歴史(下)』p172)。そもそも、テルモピュライを突破された原因の一因は、イストモスでの防衛線を想定していたスパルタが陸上部隊の増援を行わなかったことにある。
  2. ^ 強い西風が吹いていたことは、ヘロドトスの、艦艇の破片が西風によってファレロン湾のコリアスという浜に打ち上げられたという記述、そしてペルシア艦艇が順風に乗ってファレロンまで後退したという記述に認められる(ヘロドトス『歴史(下)』p204)。

出典

  1. ^ Ιστορία του Ελληνικού Έθνους 1971
  2. ^ Demetrius, 1998
  3. ^ Lazenby p.174
  4. ^ Roisman, Joseph (2011). Yardley, J.C.. ed. Ancient Greece from Homer to Alexander: The Evidence. Wiley-Blackwell. p. 235. ISBN 978-1405127769. "Herodotus (7.89.1) estimates that the Persians altogether had 1,207 ships, which modern historians cut to between 400 and 700 ships." 
  5. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p179。
  6. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p180。
  7. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p182。
  8. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p190。
  9. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p191。
  10. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p195。
  11. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p106。
  12. ^ 河野与一訳『プルターク英雄伝』p102。
  13. ^ a b ヘロドトス『歴史(下)』p197。
  14. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p198。
  15. ^ 仲手川良雄『テミストクレス』p158-p159。
  16. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p204。
  17. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p211。
  18. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p212-p214。
  19. ^ ヘロドトス『歴史(下)』p217。
  20. ^ 河野与一訳『プルターク英雄伝(二)』 p109。
  1. ^ Herodotus gives 378 ships of the alliance, but his numbers add up to 371.
  2. ^ As suggested by several ancient sources
  3. ^ Modern estimates[1][2][3]
  4. ^ Modern estimates[4]


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