ソグディアノス
ソグディアノス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/14 09:43 UTC 版)
| ソグディアノス Σογδιανός |
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| ペルシア王 | |
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ソグディアノスの時代のものと考えられるダリク貨
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| 在位 | 紀元前424年 - 紀元前423年 |
| 別号 | 大王 諸王の王 諸邦の王 古代エジプト王? |
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| 死去 | 紀元前423年 ペルセポリス |
| 王朝 | アケメネス朝 |
| 父親 | アルタクセルクセス1世 |
| 母親 | アロギュネ |
| 宗教 | イラン宗教(ゾロアスター教?) |
ソグディアノス(古代ギリシア語: Σογδιανός Sogdianós、? - 紀元前423年)は、アケメネス朝ペルシア帝国の王(在位:紀元前424年 - 紀元前423年)。
ソグディアノスは王アルタクセルクセス1世の息子(母はバビロニア出身の側室アロギュネ)である。紀元前424年に父王が崩御すると、ソグディアノスの異母兄(母は王妃ダマスピア)で王太子のクセルクセス2世が王位を継いだ。しかし、そのわずか45日後、ソグディアノスはクセルクセス2世を殺害して王位に就いた。しかし、さらにその6ヶ月と15日後に異母弟(母はバビロニア出身の側室コスマルテュデネ)でヒュルカニア総督のオコスが騎兵隊長アルバリオスらと共謀してソグディアノスを殺害した。その後、オコスは王ダレイオス2世として即位した。
以上の事績がクニドスの歴史家クテシアスが伝えるところであるが、今日の歴史学ではクテシアスの著述は信憑性に乏しいと評価されている。同時代のバビロニアの史料によれば、おそらくはアルタクセルクセス1世が崩御した後、3兄弟がそれぞれの領地に分立して後継者を自称し、最終的にダレイオス2世が勝利したと考えるのが妥当である。アルタクセルクセス1世の最後の碑文は紀元前424年12月24日、ダレイオス2世の最初の碑文は紀元前423年1月10日と年代付けられている[1]。
脚注
- ^ “Xerxes II and Sogdianus - Livius”. www.livius.org. 2025年10月27日閲覧。
文献
- Pierre Briant: From Cyrus to Alexander: A History of the Persian Empire. Winona Lake 2002.
外部リンク
- Livius.org(英語)
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固有名詞の分類
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