シシュガンビスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シシュガンビスの意味・解説 

シシュガンビス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/25 06:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
シシュガンビス
Σισύγαμβις
『アレクサンドロスの足元にひれ伏すペルシア王妃たち』(シャルル・ルブラン作)。黄色の衣装をまとったシシュガンビスがアレクサンドロスの前でひれ伏している。

死去 紀元前323年
配偶者 アルサメス
子女 ダレイオス3世
オクシュアルテス英語版
父親 ペルシアアルタクセルクセス2世
テンプレートを表示

シシュガンビス、又はシシガンビス、(古代ギリシャ語:Σισύγαμβις, 仏語、英語:Sisygambis, ? - 紀元前323年)は、アケメネス朝ペルシアの王アルタクセルクセス2世の娘である。王族のアルサメスと結婚し、アケメネス朝ペルシアの最後の王となるダレイオス3世を生んだ。

生涯

紀元前333年イッソスの戦いで、ダレイオス3世の軍は敗れ、ダレイオスは、自らの母シシュガンビス、妻のスタテイラ1世英語版と子供達を含む家族を置き去りにして逃走した。アレクサンドロス3世は彼女達を捕虜としたが、丁重に扱った。捕らえられたシシュガンビスらとアレクサンドロスが対面した際、アレクサンドロスは友人ヘファイスティオンを連れていたが、シシュガンビスはアレクサンドロスより体格がよく美しかったヘファイスティオンを王と勘違いしその前にひれ伏した。その後勘違いに気づきアレクサンドロスの前にひれ伏したシシュガンビスに対し、アレクサンドロスは「心配されるな、この者もまたもう一人のアレクサンドロスなのだから」と答えたという[1]。ダレイオスの妃スタテイラ1世は紀元前332年頃に子供を生んで死去したが、この子供はアレクサンドロスの子供であると考えられている[2]

歴史家のクィントゥス・クルティウス・ルフス英語版によると、シシュガンビスはダレイオスを決して許さず、彼の死が伝えられると「私には1人の息子(アレクサンドロス)しかいない。彼は全ペルシアの王だ」と語ったという。彼女は、紀元前324年に孫娘のスタテイラ2世をアレクサンドロスに嫁がせた[3]。同時にスタテイラの妹ドリュペティスヘファイスティオンと結婚している。翌紀元前323年、アレクサンドロスの死を聞くと、シシュガンビスは部屋に閉じこもり、5日後に悲しみと飢えで死んだといわれる[4][5]

マックス・ヴォルフ1916年に発見した小惑星は、彼女の名前に因んでシシガンビスと名付けられた。

脚注

  1. ^ ブリアン (1991)、p. 59
  2. ^ 森谷、p. 256
  3. ^ ブリアン (2003)、p. 135
  4. ^ 森谷、p. 253
  5. ^ Waldemar Heckel, Who's Who in the Age of Alexander the Great: Prosopography of Alexander's Empire, John Riley, 2008.

参考文献

  • 森谷公俊 『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』 講談社学術文庫、2016年
  • ピエール・ブリアン 『アレクザンダー大王 未完の世界帝国』 創元社、1991年
  • ピエール・ブリアン 『アレクサンドロス大王』 白水社、2003年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シシュガンビス」の関連用語

シシュガンビスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シシュガンビスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシシュガンビス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS