アピス神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 14:28 UTC 版)
「メンフィス (エジプト)」の記事における「アピス神殿」の解説
メンフィスのアピス神殿はプタハの生ける姿と考えられた聖牛アピス信仰の中心となる神殿であった。その詳細はヘロドトスやディオドロス、ストラボンのような古代の歴史家によって記録されているが、その場所は未だにメンフィスの遺跡の中に発見されていない。 ヘロドトスによれば、この神殿はプサメティコス1世によって建立され、その中庭は巨大な彫像を伴うペリスタイルのものと描写されている。 ギリシア人の歴史家ストラボンは、アクティウムの海戦でクレオパトラに対して勝利したローマ軍と共にこの地を訪れた。彼はこの神殿は雄牛の間と、その母の間の2つから成っており、全てがプタハ神殿のそばに建設されたと述べている。アピスは託宣者として使われ、その動きは予言として解釈されていた。アピスの息は病を治すと信じられており、その周囲にいる病人を祝福した。アピスの姿は神殿の窓を通して見ることができ、祝祭の日には宝石や花で飾られて街の通りを練り歩いた。 1941年、考古学者アフマド・バダウィはアピス神を描いたメンフィスで最初の遺構を発見した。その場所はプタハ大神殿の敷地内に位置し、もっぱら聖牛の防腐処理を実施するためだけに設計された葬祭施設であることが明らかになった。サッカラで発見されたネクタネボ2世の1つの石碑はこの建物の復旧を命じている。この遺物は第30王朝の時代のもので、葬祭施設の北側部分で発掘された。これによって建物の北側部分の再建時期が確認された。この葬祭施設は古代の資料で言及されるより大きな神殿の一部である可能性が高い。この神殿の聖なる施設は残存する唯一の部分であり、ストラボンとディオドロスの記録を確認する。両者ともこの神殿はプタハ神殿のそばに位置すると述べている。 既知のアピス像の大部分はサッカラの北西にあるセラペウム(英語版)として知られる埋葬室から発見されている。この場所で発見されたもっとも古い埋葬跡はアメンホテプ3世の治世まで遡る。
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