葬祭施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:10 UTC 版)
ウナスのピラミッドは一帯に建てられた葬祭施設の一部として存在している。入り口は古代の湖の岸辺に位置する河岸神殿である。この神殿は王に捧げる食料を受け入れる場所であり、供物の支度はここで為された。神殿の後背からはクフ王墓のそれに匹敵する750mもの通廊が延びており、ピラミッド本体に隣接する上部神殿へと至っている。通廊の屋根には細い隙間が設けられており、そこから入る光が内壁全体を覆う彩色壁画を照らし出す構造である。壁画にはエジプトの歳時記や、列を成すエジプト諸州の人々、作業中の職人達、供物を運ぶ人々、戦闘の様子、ピラミッド建設のため花崗岩の柱を輸送する様子などが描かれている。 通廊の終端には列柱に囲まれた中庭へと続く大広間があり、広間の周囲には倉庫となる小部屋が配されている。この中庭は王の彫像を納めた葬祭神殿に繋がっており、死者への供物を捧げる場所であった。葬祭神殿はピラミッドの東側面に接して建てられているもので、聖域を区切るため壁で四方を囲まれている。区画壁の南東隅には、王のカー(精神)のために小型の副ピラミッドが設置されている。ピラミッドの内室部分は1881年にガストン・マスペロが初めて立ち入り調査を行い、ピラミッド・テキストを発見した。墓室内には黒色の泥質硬砂岩製の石棺が床に埋められていた他、カノプス容器1点があっただけであった。石棺からはウナスのものとみられる骨の砕片が発見された。
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葬祭施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/08 07:17 UTC 版)
主要な構造の北側には、瓦礫となった建造物の遺跡が見つかっており、恐らくはもともとピラミッド構造の一部である葬祭殿であった。しかしながら、これらの遺物は信頼できる遺跡建造物の再構築には十分ではなかった。遺跡の一部である周壁の泥レンガもまた発見されているが、これらは現代のダーラの村落の下となっている。
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