葬祭の「民主化」とオシリス信仰
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「エジプト第1中間期」の記事における「葬祭の「民主化」とオシリス信仰」の解説
古王国時代において永遠の来世の観念は既に成立していたが、そのための手続きは王によって保証された。王は臣下の来世を保障するために臣下の墓に対しても供物を供給していた。しかし中央権力の瓦解とともに、王による来世の保障は説得力を持たなくなった。かつて王によって独占されていた葬祭儀礼は臣下の間にも広がり、各人は独自に葬祭儀礼を行って来世を保障する努力を行った。王の永生を保障するピラミッド・テキストに類似した呪文が臣下の墓にも記されるようになり、これはコフィン・テキスト(棺柩文)と呼ばれている。こうした動きはやがて一般民衆にまで及んだ。この過程は葬祭の「民主化」と呼ばれている。 そしてこの時代に広く普及するのがオシリス信仰である。オシリス神の起源はわかっていない。伝統的な説として、アッシリアのアッシュール神と同一の起源を持つという説や、オシリスを表すヒエログリフが座席と眼によって構成されるところから王権と関連付ける説もある。古くよりオシリス神は登場し、第3王朝時代のレリーフにも表されているが、オシリスが本格的に信仰の対象として登場するのは第5王朝末期以降である。第5王朝のウナス王のピラミッド・テキストにはオシリスが他の神々とともに登場する。 オシリス信仰の重要な中心地となったのが上エジプト第8県にあるアビュドスである。この地では古くよりケンティアメンティウ神と呼ばれる死者の神が祭られていたが、その後主神の座をオシリス神に譲り同一視されるようになった。「人は死ねば誰もがオシリス神となり、復活して来世を迎える」というオシリス信仰は、王やその周辺の臣下に限られていた復活と再生の権利を一挙に大衆化した。この思想は急速にエジプト全土に広まり、第1中間期以降にはオシリス神に対する信仰はエジプトの宗教における最も重要な要素の1つとなった。古くよりオシリス神は登場し、第3王朝時代のレリーフにも表されているが、オシリスが本格的に信仰の対象として登場するのは第5王朝末期以降である。第11王朝によるエジプトの再統一を迎えると人々はこぞってアビュドスへの巡礼を行い、再生と復活を祈願するようになった。このアビュドス巡礼はその後長期にわたって存続していくことになる。
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