葬祭の「民主化」とオシリス信仰とは? わかりやすく解説

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葬祭の「民主化」とオシリス信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:37 UTC 版)

エジプト第1中間期」の記事における「葬祭の「民主化」とオシリス信仰」の解説

古王国時代において永遠来世観念は既に成立していたが、そのための手続きは王によって保証された。王は臣下来世保障するために臣下の墓に対して供物供給していた。しかし中央権力瓦解とともに、王による来世保障説得力を持たなくなった。かつて王によって独占されていた葬祭儀礼臣下の間にも広がり各人独自に葬祭儀礼行って来世保障する努力行った。王の永生保障するピラミッド・テキスト類似した呪文臣下の墓にも記されるようになり、これはコフィン・テキスト文)と呼ばれている。こうした動きはやがて一般民衆にまで及んだ。この過程葬祭の「民主化」と呼ばれている。 そしてこの時代広く普及するのがオシリス信仰である。オシリス神起源わかっていない。伝統的な説として、アッシリアアッシュール神と同一起源を持つという説や、オシリスを表すヒエログリフ座席と眼によって構成されるころから王権関連付ける説もある。古くよりオシリス神登場し第3王朝時代レリーフにも表されているが、オシリス本格的に信仰の対象として登場するのは第5王朝末期以降である。第5王朝ウナス王のピラミッド・テキストにはオシリスが他の神々とともに登場するオシリス信仰重要な中心地となったのが上エジプト第8県にあるアビュドスである。この地では古くよりケンティアメンティウ神と呼ばれる死者の神が祭られていたが、その後主神の座をオシリス神譲り同一視されるようになった。「人は死ねば誰もがオシリス神となり、復活して来世迎える」というオシリス信仰は、王やその周辺臣下限られていた復活再生権利一挙に大衆化した。この思想急速にエジプト全土広まり第1中間期以降にはオシリス神対す信仰エジプト宗教における最も重要な要素1つとなった古くよりオシリス神登場し第3王朝時代レリーフにも表されているが、オシリス本格的に信仰の対象として登場するのは第5王朝末期以降である。第11王朝によるエジプトの再統一迎えると人々こぞってアビュドスへの巡礼行い再生復活祈願するようになった。このアビュドス巡礼その後長期わたって存続していくことになる。

※この「葬祭の「民主化」とオシリス信仰」の解説は、「エジプト第1中間期」の解説の一部です。
「葬祭の「民主化」とオシリス信仰」を含む「エジプト第1中間期」の記事については、「エジプト第1中間期」の概要を参照ください。

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