セラペウム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:00 UTC 版)
「アレクサンドリア図書館」の記事における「セラペウム」の解説
史料で散発的に言及されることから、4世紀のいずれかの時点で「ムセイオン」と呼ばれる機関がアレクサンドリアのどこか別の場所で再建された可能性がある。しかし、この組織について具体的なことは何一つ知られていない。この組織は文献史料をいくらか保有していたかもしれないが、それがどのようなものであれ、明らかにかつての大図書館と比肩するようなものではなかった。4世紀後半の大部分において、セラペウムの図書館はおそらくアレクサンドリア市内の図書館で最大の蔵書を抱えていた。370年代と380年代には、セラペウムは未だ非キリスト教徒の重要な巡礼地であった。 セラペウムはアレクサンドリアで最大の蔵書を保持していることに加えて、神殿としての完全な機能を維持しており、哲学者たちが教育を行う教室さえその中に備えていた。新プラトン主義者イアンブリコスの支持者たちはそれに惹きつけられた。こうした哲学者たちの大部分は主としてカルト的儀式と難解な宗教的実践の研究(密儀、テウルギア)に興味を抱いていた。新プラトン主義の哲学者ダマスキオス(英語版)(458年頃生-538年以降死)はキリキアからきたオリュンボスという男がセラペウムで講義を行い、熱心に学生たちに伝統的な神の崇拝と古代の宗教的実践の役割について教えたと記録している。彼は生徒たちに古い神々を伝統的な方法で崇拝することを禁じた。また、テウルギアを教えていた可能性もある。 391年、アレクサンドリアのキリスト教徒労働者の一団が古いミトラエウム(英語版)(ミトラス神殿)を発見した。彼らはいくつかの宗教的な品々をアレクサンドリアのキリスト教会司教テオフィロス(英語版)に渡した。テオフィロスは軽蔑し嘲笑するようにこの宗教的な品々を持って通りを練り歩いた。 アレクサンドリアの非キリスト教徒たち、特にセラペウムの新プラトン派哲学の教師たちはこの冒涜的行為に刺激された。このセラペウムの教師たちは武器を取り、学生たちとその他の支持者を率いてアレクサンドリアのキリスト教徒に対してゲリラ攻撃を仕掛け、勢いのあるうちにその多くを殺害した。報復の中で、キリスト教徒たちはセラペウムを略奪し壊滅させた。ただし、コロネードの一部だけは12世紀まではその場に立って残されていた。しかし、このセラペウムの破壊の記録の中に、この神殿の図書館について言及するものは全く存在しない。また、破壊以前に書かれた諸史料はこの神殿の蔵書について過去形で語っている。これはおそらく破壊時には既に重要な巻物の蔵書が存在していなかったことを示している。
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