古来の宗教との共存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 06:34 UTC 版)
「アエギュプトゥスのキリスト教化」の記事における「古来の宗教との共存」の解説
323年、後にキリスト教に改宗することとなるローマ皇帝・コンスタンティヌス1世(306 - 337年)と共同皇帝・リキニウスはキリスト教徒の信仰を認める旨の「ミラノ勅令」を発した。また、356年にはローマ皇帝・コンスタンティウス2世(337年 - 361年)が帝国全体にわたってキリスト教ではない異教(ローマ神話、ギリシア神話、ユダヤ教、ミトラ教など)の神殿の閉鎖を命じる。 4世紀を通じてキリスト教は地位を高め、その他の宗教(ローマ神話、ギリシア神話、ユダヤ教、ミトラ教など)の信者は減っていき、そして390年には、テオドシウス1世の勅命により国教となったキリスト教以外の異教を禁じられた。ただし、エジプト南部のアスワンに残るフィラエ神殿(イシス神殿、現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきた)に残る4世紀頃の落書きなどを見ると、古代エジプトの宗教の神々に対する崇拝は一部の人々(旧エジプト貴族の家柄、ヌビア人など)によって隠れて残された。また、5世紀になっても女神イシスやその他の神々が信仰され、祀られていた。 また、この頃にはプトレマイオス朝時代に作られたアレクサンドリア図書館は、財政破綻のため規模を縮小し、その蔵書や重要性もかつてのように高くはなくなった。後に、本館は暴動のさなかに掠奪・破壊され、その姉妹館であった付属のセラペウムは391年にアレクサンドリア総主教テオフィロスが発した布告の下に略奪と破壊に晒され、かつての遺構や重要性は、キリスト教から見る『異教』という名目で根絶やしにされる。 それに代わり、アレクサンドリアには、『アレクサンドリアのキリスト教図書館』が作られ、そこでは主にキリスト教神学的な議論が交わされ、蔵書された。また、ローマ帝国がキリスト教化するにつれ、アレクサンドリア図書館などの、東地中海に多く残るヘレニズム時代の大図書館(アレクサンドリア図書館、アンティオキアの図書館など)を模範としたキリスト教徒の図書館がギリシア語圏であるローマ帝国の東部全域に設立され始めた。こうした図書館の中で最大かつ最も有名なものに、カエサレア・マリティマの神学図書館(英語版)、エルサレム図書館などがあった。そんな中で、古代ギリシア・ヘレニズム的な観点を吸収しながら、キリスト教は大きく変貌し、成長する。
※この「古来の宗教との共存」の解説は、「アエギュプトゥスのキリスト教化」の解説の一部です。
「古来の宗教との共存」を含む「アエギュプトゥスのキリスト教化」の記事については、「アエギュプトゥスのキリスト教化」の概要を参照ください。
- 古来の宗教との共存のページへのリンク