カエサレア・マリティマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:53 UTC 版)
「エウセビオス」の記事における「カエサレア・マリティマ」の解説
カエサレアの人口は3世紀までには約100,000に至っていた。紀元前60年代にポンペイウスが東方属州を支配していたとき、この都市を非ユダヤ人の支配に委ねた。ヨセフスによれば、このころのカエサレアは地元の豪族の名に因んで「ストラトンの塔」と呼ばれていた。ユダヤ人はカエサレアに置かれたユダヤ属州長官の地位を要求し続けたが、それから3世紀間にわたって非ユダヤ人の支配が続いた。ヘロデ大王治世下に都市改造が行われ、この都市はカエサル・アウグストゥスに捧げられて「カエサレア」と呼ばれるようになり、結果として非ユダヤ人による統治が強化された。シリア人やギリシア人などの非ユダヤ人入植者がカエサレアの人口の大半を占めていたが、それに加えてかなりの数のユダヤ人やサマリア人の住民が存在していた。エウセビオスはおそらくこの都市のキリスト教徒のうちに生まれたであろう。カエサレアのキリスト教徒は使徒伝道時代に遡るもので、異邦人伝道発祥の地として知られているものの、190年ごろまではこの都市に司教のいた証拠はない。
※この「カエサレア・マリティマ」の解説は、「エウセビオス」の解説の一部です。
「カエサレア・マリティマ」を含む「エウセビオス」の記事については、「エウセビオス」の概要を参照ください。
- カエサレア・マリティマのページへのリンク