ヨセフスとは? わかりやすく解説

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ヨセフス【Josephus Flavius】

読み方:よせふす

37ころ〜100ころ]ユダヤ人の歴史家エルサレム生まれる。ローマ捕囚となるが許され、のちローマ帝の側近として仕える。ローマ住みユダヤ史ギリシャ語著述、「ユダヤ戦記」「ユダヤ古代誌」などを残した


ヨセフス

名前 Josephus

フラウィウス・ヨセフス

(ヨセフス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 00:10 UTC 版)

フラウィウス・ヨセフス

ティトゥス・フラウィウス・ヨセフスラテン語: Titus Flavius Josephusヘブライ語: יוסף בן מתתיהו/ラテン文字表記: Yōsef ben Matiṯyāhu:ヨセフ・ベン・マタティアフ[注 1])、37年 - 100年頃)は、帝政ローマ期の政治家及び著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。理想国家の形として神権政治を造語した[1]

生涯

ヨセフスは、本名をヨセフ・ベン・マタティアフ(マタティア・ハスモン王朝の息子ヨセフ)と称した。エルサレム(ユダヤ属州の州都)の祭司の家系に生まれ、自身の記述によれば、青年時代にはサドカイ派エッセネ派など当時のユダヤ教の諸派を遍歴し、最終的にファリサイ派を選択したという。紀元64年には、ユダヤ人の陳情使節の一員としてローマへ赴き、ネロ帝の妃であるポッパエア・サビナの知遇を得ている。

ユダヤ戦争初期の紀元66年、ヨセフスは防衛のためエルサレムからガリラヤへ派遣され、ガリラヤの町ヨタパタでローマ軍と交戦したが、最終的に敗北を喫した。異邦人への投降を良しとしない守将たちは自決を決議し、くじ引きで互いを殺害し合った。ヨセフスは最後の2人となった際、残る1人の兵士を説得し、2人で投降した。ローマ軍の司令官ウェスパシアヌス(後のローマ皇帝)の前に引き出されたヨセフスは、ウェスパシアヌスがローマ皇帝となることを予言し、その結果として命を救われた。

ネロ帝の死後の混乱期を経て、実際にウェスパシアヌスが皇帝に即位すると、その息子ティトゥスの幕僚として重用され、エルサレム攻撃に参加した。紀元70年のエルサレム陥落をヨセフスは目撃している。

紀元71年、ヨセフスはティトゥスと共にローマへ赴き、生涯をそこで過ごし、厚遇を受けた。ローマ市民権に加え、皇帝の氏族名であるフラウィウスという名も与えられた。

紀元75年から80年の間のある時期に、ローマにおいて自身の経験と種々の資料に基づき『ユダヤ戦記』を著わし、高い評価を得た。ヨセフス自身の記述によれば、『ユダヤ戦記』には元々アラム語版が存在し、それをギリシア語で書き改めたとされる。アラム語版は現存せず、現在まで伝わっているのはギリシア語版の『ユダヤ戦記』である。

さらに紀元95年頃、天地創造からユダヤ人の歴史を詳述した、大規模な著作『ユダヤ古代誌』を完成させた。『ユダヤ古代誌』18巻63には、「フラウィウス証言」と呼ばれるイエス・キリストに関する記述があることで知られている。しかし、この文書がキリスト教徒側で保存されていたことから、後世の加筆の有無が議論の対象となっている。

三代のフラウィウス朝皇帝の幕僚として不自由のない生涯を送ったかに見えるヨセフスであったが、裏切り者という烙印、同胞であるユダヤ人ローマ人からの非難や中傷に終生悩まされた。それが彼を著述活動へと駆り立てる一因ともなった。

紀元100年頃、ヨセフスはローマで死去したと伝えられている。

子女

ヨセフスは生涯において4度の結婚を経験し、5人の男子をもうけた。そのうち3人は成人を迎えたが、ヨセフスの死後の彼らの動向を示す史料は存在しない。したがって、これら3人の息子たちが婚姻し、子孫を儲けたかどうかは定かではなく、ヨセフスの孫以下の世代については確認することができない。

最初の妻に関する詳細は不明であり、彼女との間に子女はいない。次に、皇帝ウェスパシアヌスの取り計らいにより、ヨセフスは捕虜となったユダヤ人女性と結婚したが、この女性は2番目の妻であり、後に離婚している。この結婚においても、子女の存在は確認されていない。

紀元71年頃、ヨセフスはアレクサンドリア系のユダヤ人女性を3番目の妻として迎え、3人の息子をもうけた。しかし、妻の習慣に不満を抱いたため、彼はこの女性とも離婚している。この3人の息子は以下の通りである。

  • 長男: ティトゥス・フラウィウス・ヒュルカヌス (紀元73年 - ?) - 3番目の妻との間に生まれた子供の中で、唯一幼少期を生き延びた。フラウィウス朝からネルウァ=アントニヌス朝の時代にかけて生存していた。ヨセフスが紀元100年頃に死去した時、ヒュルカヌスは26歳から27歳頃であり、存命であったことが確認できるが、その後の人生については知られていない。
  • 次男: 名前不明(早世)
  • 三男: 名前不明(早世)

紀元75年頃、ヨセフスは4番目にして最後の妻となる、クレタ島出身のギリシャユダヤ人女性と結婚した。彼らは幸福な結婚生活を送り、以下の2人の息子をもうけた。

  • 四男: ティトゥス・フラウィウス・ユストゥス (紀元76年 - ?) - 異母兄ヒュルカヌスと同様に、フラウィウス朝からネルウァ=アントニヌス朝の時代にかけて生存していた。ヨセフスが紀元100年頃に死去した時、ユストゥスは23歳から24歳頃であり、存命であったことが確認できるが、その後の人生については知られていない。
  • 五男: ティトゥス・フラウィウス・シモニデス・アグリッパ(またはティトゥス・フラウィウス・アグリッパとも。紀元79年 - ?) - 異母兄ヒュルカヌス、同母兄ユストゥスと同様に、フラウィウス朝からネルウァ=アントニヌス朝の時代にかけて生存していた。ヨセフスが紀元100年頃に死去した時、シモニデス・アグリッパは20歳から21歳頃であり、存命であったことが確認できるが、その後の人生については知られていない。

脚注

注釈

  1. ^ ヨセフとはיהוהヤハウェ)が増し加える、マタティアとはיהוהヤハウェ)が賜わるという意味のヘブライ語。

出典

  1. ^ English form the 17th century (OED). The Greek term is explicitly coined by Josephus and isn't attested elsewhere in Ancient Greek; Josephus marks it as a nonce coinage by calling it a "strained expression". W. Whiston tr. Josephus, Against Apion ii. §17 (1814) IV. 340: "He [Moses] ordained our government to be what, by a strained expression, may be termed a Theocracy", translating ὡς δ'ἄν τίς εἴποι, βιασάμενος τὸν λόγον, θεοκρατίαν (和訳)もし強いて言葉にすれば、"神権政治"(θεοκρατία)と言うのだろう。

著作

  • ユダヤ戦記』- マカバイ戦争からの歴史的経緯。ユダヤ戦争の詳細。80年ごろ完成。
  • ユダヤ古代誌』- 天地創造から始まるイスラエル民族の歴史。95年ごろ完成。
  • 『アピオーンへの反論』- ユダヤ教についての護教的著作。
  • 『自伝』- ヨセフスの自己弁護の色が濃い自伝。最晩年の96年ごろに書かれたと考えられている。

関連項目


ヨセフス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)

史的イエスの資料」の記事における「ヨセフス」の解説

詳細は「Josephus on Jesus 」および「ユダヤ古代誌#キリスト教関連」を参照 西暦1世紀歴史家フラウィウス・ヨセフスローマ市民権得たユダヤ人であるが、その著作にはイエスキリスト教起源に関する言及含まれている。西暦93年から94年ごろに執筆されたヨセフスの『ユダヤ古代誌』の2か所すなわち第18巻第20巻イエスに関する言及がある。2つ言及のうち、第20巻イエスの兄弟ヤコブに関する一節学者イエス存在支持するために使用し第18巻いわゆるフラウィウス証言」(Testimonium Flavianum)はイエス磔刑言及している。 ヨセフスの著作原本失われキリスト教徒による写本にはイエスに関する意図的な改変挿入があると見られているため、ヨセフスのイエスに関する言及はその信憑性学者によって議論になっている例えばヨセフスの著書にはメシアについての言及多くあるのにイエスについて以外では「クリストス」という用語を使っていないことが指摘され議論になっている。 『ユダヤ古代誌』の20年前に書かれた『ユダヤ戦記』などのヨセフスの他の作品には『ユダヤ古代誌』に見られるイエスに関する言及対応する箇所がないが、一部学者はその欠如について『ユダヤ古代誌』が『ユダヤ戦記』より長い期間を対象にしていることや、西暦70年ごろに書かれた『ユダヤ戦記』と西暦90年ごろに書かれた『ユダヤ古代誌』では執筆時期におよそ20年間隔があり、その間起きたローマ人キリスト教徒対す関心答えるため『ユダヤ古代誌』ではキリスト教注目されイエスに関して言及されたと考えている。

※この「ヨセフス」の解説は、「史的イエスの資料」の解説の一部です。
「ヨセフス」を含む「史的イエスの資料」の記事については、「史的イエスの資料」の概要を参照ください。

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