古林家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 01:58 UTC 版)
(鳥取県米子市尾高町) 鳥取県米子市尾高町の玩具店・古林家はもと米子城代荒尾氏の侍医として代々荒尾家に仕えて来た。ただその事蹟については米子城の廃城とともに消失し古林家には二、三の古医書と処方録が残されているに過ぎない。その先祖は大坂冬の陣の後、荒尾但馬守について米子に来住したというので恐らく先祖は武士だったのであろう。 医家初代の名は明らかでない。“観古堂融山春意庵主”とあり、春庵、或は意庵と称していたかもしれない。天明4年(1784年)3月に病没したとあるので、七代荒尾近江成煕に仕えていたと思われる。 二代目元英は天保6年(1835年)に没しているので荒尾家七代、八代近江成高、九代内匠介に仕えていた。 三代目俊英は通称俊造といった。古林家に残された写本に中川修亭の『菊圃漫筆』(一八一五)があり「文政十丁亥閏六月上旬於抱神堂塾堂写之、古林嘉則」の署名がある。その他修亭の抱神堂塾での写本『女科筌蹄』『古方便覧』等もあるので、俊英は大坂に出て中川修亭に学んだものと思われる。俊英も医術が秀れていたのか、その子東斎の処方録に俊造翁伝としてその記録が残されている。文久元年(1861年)7月に病没した。
※この「古林家」の解説は、「古林東斎」の解説の一部です。
「古林家」を含む「古林東斎」の記事については、「古林東斎」の概要を参照ください。
- 古林家のページへのリンク