古林清茂とは? わかりやすく解説

古林清茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)

禅林墨跡」の記事における「古林清茂」の解説

古林 清茂(くりん せいむ、1262年 - 1329年)は、中国南宋から元時代禅僧俗姓、諱は清茂、字は古林金剛憧・休居叟などと号した温州の人。横川如珙法嗣門下了庵清欲竺仙梵僊日本僧では月林道皎石室善玖らがいる。中峰明本並んで元代中期禅林巨匠で、当時日本からの渡航僧で古林参ぜぬものなしといわれたほどの高僧である。著に『古林禅師語録』、『宗門統要続集』が知られる古林馮子振交遊があり、書法長じ、その書は格調高く貫禄備えている。また文学にも造詣深く入元僧はそのような古林士大夫教養憧れてその門に学んだ元代南宋時代増して禅林様々な文化との関わり強め、特に文学への関心高かった。が、その内容次第世俗化し禅僧本分弁え大慧派人々詩文一般の詩に同化ていった古林はこうした傾向阻止しよう題材仏教限定した偈頌重視したが、大慧派の笑隠大訢の出現によって、禅林文学偈頌から四六駢儷文にその中心移したといわれる月林道号月林道号』(げつりん どうごう)は、泰定4年1327年3月古林月林道皎書き与えた「月」の道号。号のあとに七言絶句一首の偈がある。長福寺国宝指定名称は古林清茂墨蹟月林道号 泰定年三望日))。 与別源円旨送別偈与別源円旨送別偈』(べつげんえんしにあたう そうべつのげ)は、泰定2年1325年)、古林入元僧・別源円旨に書き与えた偈。別源が帰朝する5年前与えられたもので、送別といわれる内容印可状と同じ意味の重さを持つ。織田信長秘蔵していたという由緒ある墨跡である。五島美術館国宝指定名称は古林清茂墨蹟(別源円送別泰定二年九月二日))。 送幽禅人偈頌送幽禅人偈頌』(ゆうぜんじんにおくる げじゅ)は、泰定3年1326年)、古林が幽禅人に与えた偈。福岡市美術館重要文化財指定名称は古林清茂墨蹟泰定三年秋孟))。幽禅人は曇幽という入元日本といわれるが、その伝記は不明である。至治2年1322年)、霊石も幽禅人に餞別語与えている。

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