入元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/30 22:16 UTC 版)
まもなく徳治2年(1307年)18歳の時、渡海して元へ赴く。2年ほど大都(北京)周辺を見て回り、元叟行端・虚谷希陵・東嶼徳海・晦機元煕・叔平□隆などに参ずる。しかし日元関係の悪化に伴い、日本留学僧は間諜(スパイ)と見なされたため、霅州の獄に繋がれる。叔平も雪村を匿った罪で逮捕され、獄死した。雪村も危うく処刑されかけたが、とっさに無学祖元の臨剣頌を唱えたため、気圧された処刑官が、死罪を延期し、処刑を免れた。以後、江南地域ではこの臨剣頌が、祖元ではなく雪村の作であると伝わったということが、数十年後同地を訪れた中巌円月によって記録されている。 死一等を免ぜられて長安に流され、3年後には四川の成都に改めて流謫され、その地で10年を過ごす。この間、さまざまな経書・史書などを学び、一度暗記したページはちぎって河へ捨てたという。大赦により許された後、長安に戻りそこで3年を過ごす。この頃より帰国の念が募ったが、請われて長安南山翠微寺の住職となり、元の朝廷から「宝覚真空禅師」の号を特賜された。
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