入信及び洗脳の経緯
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1989年2月、同乗していた車が交通事故を起こして鞭打ち症を患い、医師の勧めで水戸市内のヨーガ教室へ通いはじめる。同年4月22日、友人から麻原彰晃説法会に誘われた。説法は遅刻して聞き損ねたが、科学に詳しい村井秀夫に関心を抱いて、村井の勧めに従い同日世田谷道場を訪れた。「ここなら本格的なヨーガの修行ができる」と、宗教団体との認識を持たずに入信。深夜から開催された「超能力セミナー」に参加したところ、日頃徹夜して研究に励むなど意思の強さや体力には自信があったのに修行について行けず、か弱そうな女性信徒が楽々こなしているのを見て驚いた。蓮華座を組みダルドリー・シッディ(座禅ジャンプ)を体験した。 教団の指導通りにヨーガを練習すると、中学生のときから患っていた椎間板ヘルニアが快癒したうえ神秘体験をするようになった。8月、水戸支部長岐部哲也の指導による激しい修行後、頭頂に肉髻(にっけい)ができた。図書館で調べたところ肉髻は仏教の経典にも記載があったので、それまでの「オウム=ヨーガ教室」という見方を改め、初めて麻原彰晃の著作を読んでみたところ、大いに感銘を受けた。 この頃、オウム入信を電話で母親に報告。「オウムには、1日20時間も自分の好きな研究ができるところがある。がんもエイズも治る」と話した。母親は、2リットルの塩水を鼻から入れて口から出したり、麻紐を鼻から口に通したりする修行をしていると聞き、心配で脱会するように説得したが叶わず、「他人を絶対勧誘しないこと」、「毎月実家に帰ること」、「修士はとること」と約束を交わす。 9月に入り岐部から出家を促されるが母親との縁を絶てずに断った。11月、坂本堤弁護士一家行方不明事件を知り、オウムの関与を疑ったが「国家権力の陰謀だ」と言われ、以降、1995年に逮捕されるまで長期に渡って信じ続ける。大学院仲間のプライドの高さや妬みに嫌悪感を抱く一方で、「オウム水戸道場の人たちは優しく純情なので行くとホッとする」とのめり込んでいく。 1990年4月、博士課程に進学したが、6月から研究室に通わなくなった。教団の雑誌『マハーヤーナ』掲載の信徒の宗教体験を読み、自分の体験は低レベルであると思って、より次元の高い宗教体験を求め修行に専念し始めた。両親に知らせずに引っ越し、実家に帰らなくなる。世田谷道場や水戸支部へ通い詰め、高額のオウム教材購入やセミナー参加費の支払いにより教団への借金がかさむ。「1日1食、睡眠3時間」の教義を実行しながら車を運転して交通事故を頻発し、その処理のためにアルバイト先の学習塾生徒の親からお金を借りるようになる。学習塾、家庭教師、警備会社、豆腐屋と朝から晩までアルバイトに明け暮れて得た50万円近いバイト代を全額教団に注ぎ込み、正常な思考能力を徐々に失って行った。 1990年10月、シークレットヨーガ(個人面談)で初めて麻原と対面。「尊師が空であり、海であり、太陽である」と感じ、尊敬の対象は実父から麻原彰晃へとうつっていった。1991年1月5日、富士山総本部道場での「狂気の集中修行」に参加。厳しい修行にバテてしまい、周りの出家信者が寝食の制限を受けながら成就を目指し修行している姿を見て「自分には厳しい出家生活は到底無理だ」と考えていた。
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