出家生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:41 UTC 版)
「林郁夫 (オウム真理教)」の記事における「出家生活」の解説
その後教団では「師長」になり、中野区にあった教団付属医院(AHI)の院長に就任。出家当初の林は東洋医学や瞑想も取り入れて末期がんなどの難病治療に取り組むことを志していたが、まるで違う現実が林を待ち受けていた。1993年池田大作サリン襲撃未遂事件でサリン中毒になった新実智光を治療し、オウムがサリンを保有していることを知る。1994年には治療省大臣となる。教団の犯罪に従事する信者の指紋消去手術、信者の記憶消し(ニューナルコ)などに携わる。その他、鹿島とも子長女拉致監禁事件やピアニスト監禁事件の被害者に対し、チオペンタールナトリウムを打ったり殴打するなどしている。「教団は毒ガス攻撃を受けている」という麻原の嘘も1995年の暮れまで信じていた。林の性格は暴力的になり、部下の女性看護師や妻も殴るようになった。
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