第5回公判以降とは? わかりやすく解説

第5回公判以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:49 UTC 版)

遠藤誠一」の記事における「第5回公判以降」の解説

N弁護士解任するこれまでの真摯な姿勢豹変させる。第5回公判意見陳述では「これまで認めた事実は前の弁護人勝手にやったことだから全て白紙戻したい」とN弁護士批判を展開、従来姿勢翻し無罪主張し始めたのを皮切りとして、次第に「サリン危険性認識していなかった」・「自分従属的な立場であってボツリヌス菌炭疽菌提案したのは中川サリン製造中心人物土谷中川」・「アーナンダ、ウパーリ、マハーカッサパなどに比べてジーヴァカなんて大したホーリーネームではなく教祖信頼されていたわけではない」等、自己の役割矮小化する証言重ねるようになり、加えて「まさか(サリンが)東京の地下鉄撒かれるとは思っていなかった」と強調し始めた。「遠藤サリン製造積極的だった」とする他の共犯者証言に対しては、「私への不快感悪意感じる」と否定し、他の共犯者たち自分にとって不利な証言をすると「嘘だ」「作り話だ」などと言い立てて自己弁護終始することでかつての同僚たちとの間に軋轢を生み、法廷でも孤独深めていった。 さらには取り調べでの警察官らの言動から自分死刑になるのではと慄いたが、捜査官言いなりになれば死刑避けられる考え、そのつもりで取り調べ応じたと言い張り捜査官に従って上申書書き上げた自分にも林郁夫地下鉄サリン事件の実行犯の一人)同様自首成立する主張。また麻原隠し部屋自供したにも関わらず「(麻原逮捕されて)非常に悲しかった」と証言した土谷からは「嘘吐き」「村井遠藤がいたから教団崩壊した」と批判されている。 一方で自身が関わった地下鉄サリン事件松本サリン事件被害者の各遺族のほか、駐車場経営者VX襲撃事件被害者対し謝罪の手紙を出し共犯者ら法廷証人として出廷した際に受け取った日当積立金から50万円サリン事件共助基金事務局贖罪寄付したりなど反省姿勢は崩さなかった。 1999年3月1日行われた土谷正実第61回公判同年5月18日第64回公判等、土谷公判遠藤証人として出廷した際は、土谷はかつての上司である遠藤対し積年怨みを晴らす如く証人尋問として「遠藤弾劾」を掲げ遠藤への逆襲図った。それは遠藤化学知識狭隘さを暴くようなものから教団内での振る舞い対す糾弾に至るまで――「あなたは出家生活偽りの述べない生活をしていたのでしょうか」と問いただし、これらに対し遠藤徹底して証言拒絶します」と繰り返した教団時代から口も聞かないほど険悪な二人であったが、法廷においても事あるごとに衝突し、罪のなすりつけ名指しでの非難煽り合い等を経て両者軋轢怨念に近い形まで熾烈極めていった。 2002年1月16日の第100公判において、弁護側より現在の帰依心の有無問われると、教団貴重な経験得られた以上自分麻原弟子と言える前置きしつつ、「ただし帰依している状況では今ありません」として、麻原への帰依否定した

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