第5回世界滑空選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/10 15:37 UTC 版)
「シュワイザー SGS 2-25」の記事における「第5回世界滑空選手権」の解説
1954年にイギリスの、グレート・ハックロー(英語版)で開催された第5回世界滑空選手権では、シュワイザー・エアクラフトがアメリカ合衆国代表の全ての機体を供給しており、単座部門ではSGS 1-23Dをポール・マクレディに、SGS 1-23Eをポール・シュワイザー(英語版)に、SGS 2-25をスタン・スミス(Stan Smith)とボブ・キダー(Bob Kidder)にそれぞれ供給した。これらの機体は、モントリオールからリヴァプールへ船便で送られた。 アメリカ合衆国代表は全競技に出場し、マネージャー、気象学者を含むスタッフも抱えていたが資金不足により、ほとんどの人員は自費で渡航することになった。天候は50年以上にわたる世界滑空選手権の中でも最悪であり、雨と低い雲の影響で7月20日から8月4日までの14日間の競技期間中、飛行が可能であったのは僅か4日のみであった。開催前に行われたルート習熟のための軽飛行機による飛行も高度を稼げず、視界も悪かったため再三ルートから外れる結果となった。 2日目までは飛行に適した気象条件であり、続く1週間は雨であった。2日目は、今回最高の条件であり、この日には2位に付けた。3日目には最高の成績を収めていたが、他のチームが条件に満たず記録は無効となった。 3日目の着陸で滑走路をはみ出し、木製フェンスに衝突して機体が損傷した。フェンスの桁はキャノピーの上に被さり、機体はフェンスの下に滑り込む形となった。キャノピーは破損しなかったもののパイロットは脱出できず、農家の助力を得てフェンスの桁を除去した後に、機体が引き出された。その時点での損傷は軽微であったが、輸送中に更なる損傷を負った。輸送途中で燃料切れを起こしたトレーラーは給油を行ったが、低い位置まで吊り下げられていたガソリンスタンドのポンプを覆うカバーに尾翼が接触して損傷したのである。これにより最終日に飛行不能となったため欠場、最終的に9機中3位の成績を収めた。
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