第一審・東京地裁八王子支部
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「国立市主婦殺害事件」の記事における「第一審・東京地裁八王子支部」の解説
被告人Oは捜査段階から引き続き、東京地方裁判所八王子支部で開かれていた公判でも起訴事実を認め、法廷では「被害者の冥福を祈り、罪を償いたい」と話していた。しかし、Oは1993年(平成5年)9月7日に開かれた第5回公判でそれまでの証言を翻し、「自分は以前から被害者と肉体関係があった」などと虚偽の供述を行った。この供述をめぐり、第6回公判(1993年10月29日) - 第8回公判にかけて、弁護人と検察官の間で被告人Oの供述の是非について攻防が繰り広げられた。 結局、Oは1994年〈平成6年〉2月8日に開かれた第9回公判で、「『被害者とは以前から男女の関係があった』という供述は虚偽だった」と述べ、第5回公判以降の供述を撤回したが、Oはそれまで自身の更生のため、多大な援助をしてきた雇主・甲(第一審に証人として出廷した)を「自分に不利な供述を行った」と逆恨みし、第一審判決後も中学2年時の担任教師・乙や控訴審の弁護人に対し、彼を非難する内容を綴った手紙を送っていた。 1994年(平成6年)8月23日に東京地裁八王子支部(豊田健裁判長)で論告求刑公判が開かれ、検察官は「被告人Oは千枚通し・軍手などを事前に用意し、顔・勤務先を知られている被害者Aを口封じのために殺害した。顔見知りのために自身を家に招き入れて飲食を世話してくれた被害者Aの優しさにつけ込み、人命の重さを意に介さずに犯行におよんでおり、極めて悪質。酌量の余地はない」と指摘し、被告人Oに死刑を求刑した。一方、弁護人は次回公判となった第15回公判(1994年9月20日)で、「被告人Oは『被害者Aが泣き寝入りしてくれないか』とも考えており、『抵抗されれば殺そう』と思っていた(=殺意は未必的なもの)に過ぎない」と主張したほか、「死刑は慎重な適用が必要で、異論がないほど情状が悪い場合に限るべきだ」と主張し、無期懲役刑の適用を求めた。
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