鹿島とも子長女拉致監禁事件
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「鹿島とも子」の記事における「鹿島とも子長女拉致監禁事件」の解説
麻原彰晃は鹿島の長女(当時19歳、非信徒)に対し、アイドルになって教団の広告塔になれと命令していたが、長女は拒んでいた。 1994年11月20日、飯田エリ子と井上嘉浩は「お母さんが待っている」と言って長女を富士宮市の富士山総本部につれていった。長女はとも子らと一緒に上九一色村の第6サティアンで生活をしていたが、長女は11月26日に東京に逃げ帰った。とも子は飯田と井上に娘をサティアンに連れ帰るように要請した。 そこで12月5日、飯田と林郁夫が長女宅を訪問し出家を勧めるが断られたので、特別なジュースと偽って睡眠薬入りジュースを飲ませ、眠り込んだ長女にチオペンタールナトリウムを注射、控えていた井上と共にサティアンへ拉致した。その後林は、拉致された記憶を消すため長女に対しニューナルコ(電気ショック)とチオペンタールナトリウム投与を行った。 長女は再びサティアンでとも子と生活していたが、電話で友人を呼び、1995年1月23日に友人の車によって救出された。
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