入党に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 15:53 UTC 版)
「ホセ・ディアス・ラモス」の記事における「入党に至る経緯」の解説
1895年5月にディアスはスペイン王国のセビリャで生まれた。11歳よりパン屋に就き、18歳にはセビリャのパン職人労働団体である"La Aurora"へ加盟したが、その後間もなくアナキズム団体の全国労働連盟(英語版)(略称: CNT) にも併せて加わった。1917年と1920年に実施されたCNT指導の大規模ストライキに際してディアスは指導格に立ち参加したが、ストライキ自体は失敗に終わっている。1923年にミゲル・プリモ・デ・リベラの独裁体制が樹立した後も彼は秘密裏に活動を継続したが、1925年にマドリードで逮捕された。しばらく経過して釈放された後、1927年にセビリャで活動していた大勢のアナキストと共にスペイン共産党へと入党した。彼は旧来の労働団体に対して幻滅を抱いていた過激な労働者たちを惹きつけ、同時期にスペインで活動を続けていた社会主義系組織であった労働者総連合(英語版)や全国労働連盟との抗争において、スペイン共産党の有利を維持する一助となった。
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