古柳井水道と熊毛王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 04:06 UTC 版)
古墳時代にあたる3世紀末から7世紀頃にかけて、古柳井水道推定地周囲の石城山や室津半島沿岸などには、国森古墳や白鳥古墳など、有力な地域首長の存在を示す古墳が複数築造されたが、現在この首長勢力が「熊毛王国」と表現されることがある。 この勢力は古柳井水道での海運を掌握して利を得ていたと考えられ、当時の同水道は瀬戸内海の東西を繋ぎ、畿内から九州・朝鮮半島・中国への物流経路の要衝であり、当地域の制海権は「熊毛王国」に大きく貢献したと考えられている。
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