プタハ大神殿とは? わかりやすく解説

プタハ大神殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 14:28 UTC 版)

メンフィス (エジプト)」の記事における「プタハ大神殿」の解説

このフウト・カ・プタハ (Hout-ka-Ptah)は創造神プタハ祀るメンフィス最大の、そして最重要神殿である。この都市卓越した建物1つ数えられ都市中心部大きな区画占めていた。何世紀にも渡り崇拝集めたこの神殿古代エジプトの宗教においてヘリオポリスラー神殿と、テーベアメン神殿に並ぶ最も重要な3つの聖域のうちの1つであった今日、この古代神殿についての知識多くヘロドトスの記録依る。彼は新王国時代からかなりの時間経た第1次ペルシア支配時代にこの地を訪れている。彼はこの神殿メネスミン)によって建設され神殿複合体主要な建物王と神達しか入ることは許されなかったと記している。彼の記録はしかし神殿物理的な特徴言及していない。過去1世紀にわたり続けられてきた考古学探求によって、徐々に神殿遺跡掘り起こされた。そして、南、西、東の壁に沿って建つ、モニュメンタルな門を入口とする巨大な壁の複合体明らかにされた。 この大神殿遺構敷地野外博物館として元々神殿南側軸線にあったラムセス2世像のそばに展示されている。またこの地区には19世紀発見され一枚岩でできた大きなスフィンクスがある。それは第18王朝時代のものであり、アメンホテプ2世トトメス4世時代作成され可能性が高い。これは現在でも原位置残されているこの種の彫像の中で、特に優れた例の1つである。 屋外博物館には他にも多く彫像巨像スフィンクス建築遺構がある。ただし、発見され物の大部分全世界主要な博物館販売された。その多くカイロエジプト考古学博物館保存されている。 神殿具体的な外観現時点では不明であり、周囲主要な門扉のみが知られている。最近発掘進展で、門や塔を飾った巨大な像が発見されている。これらはラムセス2世時代の物である。このファラオはフウト・カ・プタハの神殿複合体少なくとも3つの社を建立したが、そこで崇拝されていたのは、いずれもこれらの巨像捧げられ神々であった

※この「プタハ大神殿」の解説は、「メンフィス (エジプト)」の解説の一部です。
「プタハ大神殿」を含む「メンフィス (エジプト)」の記事については、「メンフィス (エジプト)」の概要を参照ください。

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