王権とアメン神官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)
「エジプト第18王朝」の記事における「王権とアメン神官」の解説
第18王朝の王家はアメン神官団と密接なかかわりを持った。エジプトの国家神であるアメン・ラーは対外遠征の勝利をもたらす神として崇められ、遠征のたびにアメン信仰の中枢カルナック神殿には膨大な戦利品が寄進された。とりもなおさずこれはアメン神官団の経済力拡張に結びついていった。歴代の王はアメン大司祭の強力な補佐を受けており、ハトシェプストの権力確立やトトメス3世の地位奪回においても大きな役割を果たしていたが、エジプトの国力伸張による王側の意識変化や、アメン神官団の勢力があまりに拡大を続けたために、王とアメン神官団の間にはやがて緊張関係が生じるようになった。トトメス3世の後に王位を継承していったアメンヘテプ2世(前1453年 - 前1419年)、トトメス4世(前1419年 - 前1386年)の時代は、この対立が次第に顕在化していく時代である。 トトメス3世が老齢のため死亡すると、彼が征服したシリア諸国ではただちに反乱の火の手があがった。跡を継いで即位したアメンヘテプ2世は速やかにこの反乱を鎮圧し、ヌビア地方でも同様にして現地人を威圧すると、以後は比較的平和な時代を継続した。しかし、アメンヘテプ2世は王とアメン神官団の関係を微妙に変化させていた。治世第7年と第9年におこなわれたアジア遠征の際、彼はこの遠征について記した石碑をアメン大神殿(カルナック神殿)だけではなくメンフィスのプタハ大神殿にも納めたのである。これは同一の石碑を両方に奉納することで神格のバランスを取ろうとしたものと考えられる。 それだけにとどまらず、彼はヘリオポリスのアトゥム神やラー・ホルアクティ神に対しても同様の配慮を見せ、アメン神官団との間に一定の距離を取ろうとしたことが明らかである。 アメンヘテプ2世の跡を継いで王となったトトメス4世の即位にあたっては特徴的な説話が残されている。トトメス4世が即位する前、ギザ付近の砂漠で戦車にのってライオン狩りをしている最中、スフィンクスの傍らで休息をとっていると、夢にスフィンクスが現れ、スフィンクスは自らの体を覆っている砂を取り払うならば、トトメス4世に王位を約束すると言ったのだという。スフィンクスは当時太陽神ラーを象徴すると見なされていたことから、この説話はトトメス4世の即位にヘリオポリスの太陽神崇拝が大きな役割を果たしていたことを示すと考えられる。 このように即位時点からアメン神官団と距離をとっていたトトメス4世は、さらにその影響力を排除すべく数々の手段を講じた。とりわけ慣例的にアメン大司祭が兼任することになっていた上下エジプト神官長職に、アメン大祭司アメンエムハト[要曖昧さ回避]ではなく、腹心の徴兵書記ホルエムヘブを任命しており、アメン神官団の影響力を削ごうという意図が明白であった。
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