アメン大神殿とは? わかりやすく解説

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アメン‐だいしんでん【アメン大神殿】

読み方:あめんだいしんでん

Precinct of Amun-Re》⇒アモン大神殿


アメン大神殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)

カルナック神殿」の記事における「アメン大神殿」の解説

アメン大神殿(アメンラー神域)は、神殿複合体神域内のうち最大であり、テーベ柱神アメンムトコンス)の最高神であるアメン捧げられている。高さ10.5メートルパネジェム1世彫像など、いくつかの巨大な像がある。すべての列柱含め、この神殿のための砂岩は、ナイル川の南上流およそ160キロメートル100マイル離れたジェベル・エル=シルシラ(英語版)から搬送された。さらに高さ29.5メートル重さ323トンとなる最大級オベリスク立っている。 全体の構成は、およそ東西および南北延びる2本の軸を持っており、その中心軸となる東西主軸上は、6基の塔門で仕切られている。神域周壁日乾煉瓦築かれ厚さ10メートル一辺長さは約500-600メートルであり、東西540メートル南北の西辺600メートル、東辺500メートルとなる。中王国時代第12王朝センウセルト1世から、主として新王国時代第18王朝アメンホテプ1世紀元前1525-1504年頃)、トトメス1世紀元前1504-1492年頃)、第19王朝セティ1世ラムセス2世など、そしてローマ支配時代わたって増改築され、歴代の王増築部分拡張していった。 第1塔門から東西中心軸を進むと、第2塔門第3塔門の間に巨大な列柱室がある。第3塔門から南側向けて、アメン大神殿の主軸線とほとんど直角にもう1本の南北軸が、第7塔門から第10塔門わたって延びており、その軸線はさらに南のムトの神域向かっている。第7塔門の前となる、2つ軸線交差する南側には聖池がある。 この副神殿として建設されルクソール神殿(イペト=レスィト、Ipet-resyt「南の専用宮殿」「南の後宮」)が、南に2-3キロメートルほど(2.4キロメートル離れた位置にあり、1200余りスフィンクス両側に並ぶスフィンクス参道(ドロモス(フランス語版))により通じている。毎年氾濫季(アケト)の第2月11日間(第20王朝紀元前1184-1069年頃〉のラムセス3世紀元前1184-1153年頃〉の頃には約1か月わたって続けられるようになった)のオペト祭(英語版)において、アメン神は、妻神ムト子神コンスの他の三神体とともに聖舟にのせられカルナックのアメン大神殿から南のルクソール神殿運ばれた。

※この「アメン大神殿」の解説は、「カルナック神殿」の解説の一部です。
「アメン大神殿」を含む「カルナック神殿」の記事については、「カルナック神殿」の概要を参照ください。

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