アメン神と王権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
アメン神はもともとはテーベの一地方神であったが、王朝がメンフィスではなくテーベに都をおき、アメン神を奉るアメンエムハト1世の系統が王位に就いたことも相まって、メンチュ神に代わり急激にその地位を高めた。太陽神ラーと習合してアメン=ラーとなり、王朝神から国家神へと格が上昇し厚く祀られるようになった。 第18王朝王家は、アメン神官団と密接なかかわりがあった。宗教的地位の例としては、初代王イアフメス1世の妻、イアフメス・ネフェルトイリの家系は「アメン第2司祭」を世襲しており、その権利を婚姻に伴いイアフメス1世に譲渡したことが知られている。 実際にも、アメン神の加護は度重なる遠征の勝利と大帝国の建設をもたらしてくれた存在だと信じられていた。よって、王たちはその感謝を目に見える形で表明せねばならなかった。例えば、カルナック神殿の増築や莫大な量の寄進は、そのための最良の手段とされた。少し時代は下るが、新王国第19王朝、ラメセス3世の時代にはテーベのアメン神殿群の奴隷の所有率は全神殿群の80.36%、土地保有率は全神殿群の80.73%とアメン神殿がもつ財力が突出して著しいのがわかる。 これらの財力に加え、アメン神官団は王に対して強い影響力を持っていた。例えば、トトメス3世は、アメン神殿に勤務していた時、ある祝祭において神輿の行列が自分の前に止まったことで、次代の王に選任するという神の意志が表明されたとしている。これは、神官団が王位継承をも左右する力を有していたことを示唆しているという。
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