アメン神殿の強大化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 03:55 UTC 版)
「エジプト第20王朝」の記事における「アメン神殿の強大化」の解説
三度の戦争で勝利し、国外の脅威を振り払ったラムセス3世は国内も比較的安定させることに成功した。後に残された大ハリス・パピルスによれば、「住民がどこへでも自由に国内を旅行できるようにし、兵士たちも自分の家で休息ができるようになった。武器も長くしまわれたままであった。」というラムセス3世時代の統治の様子が記録されている。 ラムセス3世はこの安定の下で獲られた富をテーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール)での建築活動に投入した。 神殿への寄進も大規模に行われているが、ラムセス3世は長らく続いていた諸神の神殿のバランスをとる政策をやめ、テーベのアメン神殿に対する寄進の比重を高めた。当時の記録に基づく計算では、エジプトの人口の5分の1、耕作地の3分の1が神殿領にあり、このうちテーベのアメン神殿が占める割合は4分の3にも達したと言う。このようなアメン神殿の勢力拡大は後々エジプトの統一に重大な問題を引き起こすことになるが、当面においては神官勢力との連携が内政の安定に繋がったかもしれない。
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