アメン・ラー神官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 09:11 UTC 版)
「古代エジプトの宗教」の記事における「アメン・ラー神官」の解説
アメン・ラーの神殿がエジプト全土に新たに造営されるようになり、新しい信仰の中心地においては、アメン・ラーが古い神々を追放して優位に立った。しかし、アメン・ラーの神官たちが宗教の分野ばかりでなく、政治や経済の分野においても大きな影響力を持つに至ったのは、カルナクの巨大なアメン・ラー神殿があるテーベにおいてであった。 神官たちは、ラーやプタハといった重要な神々の称号を帯びるようになり、他の神々の信仰を監督する権利を主張した。神官の富や影響力が増大した背景には、新王国時代初期のこの神に対する王家の政策があった。 この頃のエジプトは、南はヌビアから北はユーフラテス川流域にまで拡大し、テーベの王は近東における最強の支配者となった。領地拡大の戦闘によって戦利品や捕虜を連れ帰り、他の小国家の支配者からファラオに贈られた品々によってその富は増大した。王たちはヒクソスを追放し、王家の系譜を確立してくれたアメン・ラーに対する感謝の念を忘れることはなかった。そのため、彼らは第18王朝の前半を通じてカルナクのアメン大神殿に多額の寄進を行ない、神殿やその神官には広大な領地を与え、アメン・ラーに奉仕するために神殿には資材や戦争捕虜を供給した。 しかしながら、第18王朝末期になると、この政策は失敗し、王と神官との関係は緊張したものとなった。古王国時代と同様に、国家神に対する王の寛大さゆえに、神官がその富や権力において王と競い合うという状況を作り出したのである。強力な王の場合には神官の要求をはねのけることも可能であったが、王位継承の際に問題が生じたような場合には、王の父としての神の役割を持つ神官たちが特定継承者を選び、支援するという強い力を有することとなったからである。新王国時代には、王がアメン・ラーと人間の王妃との間に生まれた子供であるとする考え方が定着し、「偉大なる王の妻」が王位継承において重要な役割を果たした。 「偉大なる王の妻」と結婚することは、他のライバルを蹴落として王位につくことを意味し、その結果しばしば王家の内部で妻の子供たちによって王位をめぐる内紛が起こった。 アメンホテプ4世のアマルナ革命は、こうした神官と王の関係が原因だった、と推測される要因となっている。
※この「アメン・ラー神官」の解説は、「古代エジプトの宗教」の解説の一部です。
「アメン・ラー神官」を含む「古代エジプトの宗教」の記事については、「古代エジプトの宗教」の概要を参照ください。
- アメン・ラー神官のページへのリンク