ローマ支配
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ローマとカルタゴの間でポエニ戦争がはじまるとイベリア半島はカルタゴの軍事拠点となった。紀元前201年に第二次ポエニ戦争が終結するとカルタゴは海外植民地をすべて喪失し、ローマがイベリア半島の支配権を握った。ローマはすでに属州にしているヒスパニアに続いて、紀元前155年にはイベリア半島奥地への征服戦争であるルシタニア戦争(紀元前155年 - 紀元前139年)を展開した。テージョ川とドーロ川の間に住むルシタニア人は族長ヴィリアトゥス(英語版)の元に集まり、ローマの征服に抵抗する。およそ1世紀にわたってルシタニア人の抵抗は続くが、紀元前19年にアウグストゥスが実施したカンタブリア戦争によってドーロ川以北の地域が征服され、イベリア半島は完全にローマの支配下に収まった。アウグストゥスはイベリア半島をバエティカ、タラコネンシス、ルシタニアの3つの属州に区画し、後の時代にタラコネンシス西部とルシタニアにまたがった地域にポルトガルが建国される。3世紀末にディオクレティアヌスはタラコネンシスを三分割し、新たにカルタギネンシス、ガラエキアが創設された。 ローマの支配下(パックス・ロマーナ)で人種的・文化的に異なるイベリア半島の先住民のローマ化が進展し、共通の言語としてラテン語が使われるようになる。しかし、ローマ文明の影響は都市部に留まり、農村部には定着しなかったと考えられている。やがてポルトガルとスペインのガリシア地方で、俗ラテン語から派生したガリシア・ポルトガル語が話されるようになる。
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ローマ支配
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紀元前51年、ブルターニュは古代ローマの一部となった。紀元前13年にはローマ属州ガリア・ルグドゥネンシスに含まれた。ガリアの町や村はローマの基準に従い再度開発され、いくつかの都市がつくられた。これらの都市は、Condate(レンヌ)、Vorgium(カレ)、Dariotirum(ヴァンヌ)そしてCondevincum(ナント)である。Fanum Martis(コルスール)とともに、これら都市は地元キウィタスの主要都市であった。都市は格子状のグリッド・プラン(en)や、ローマのフォルム(en)をすべて備え、時には神殿やバジリカ、公衆浴場(テルマエ)、または水道橋を備えていた。ローマ人はこの地方へ通じる3本の主要道も建設した。しかし、ローマ支配下のブルターニュ人口の大半は農村にあった。自由農民は小さな小屋に暮らしていたのに対し、地主や雇い人たちはヴィッラ・ルスティカに住んでいた。ガリアの神々が信仰され続け、しばしばローマの神々と同化された。ローマの神々を表す像がブルターニュでわずかに見つかっており、ローマ支配下のガリアの部族たちはローマの信仰にケルトの要素を組み合わせていたことがわかる。 3世紀、一帯を数度にわたってフランク族、アラマンニ族そして海賊が襲撃した。同じ頃、地元経済が崩壊し、多くの農場が放棄された。侵略に直面して、多くの町や都市が、ナント、レンヌ、ヴァンヌのように要塞化された。
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