ローマ支配下の行政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 09:25 UTC 版)
ローマに征服された旧ダルダニア王国の領域は、モエシア属州の一部とされた。ドミティアヌス帝期の86年、モエシアは上モエシア(モエシア・スペリオル)と下モエシア(モエシア・インフェリオル)に分割され、上モエシアの一部を成す地域がダルダニアと呼ばれるようになった。2世紀の地理学者クラウディオス・プトレマイオスは、ダルダニアを上モエシアの「特別な地域」と呼んでいる。 ディオクレティアヌス帝 (在位:284年–305年)は、バルカン半島の大部分を管轄するモエシア管区を設置し、その中に改めて11属州を置いた。その中の一つに、ダルダニア属州があった。旧上モエシア属州が、おそらくディオクレティアヌスのもとでダルダニアとモエシア・プリマという2つの属州に分割されたのである 。コンスタンティヌス1世の治世中もしくはその後に、ダルダニアとトラキアから一部分ずつをとってダキア・メディテラネア属州が設置された。モエシア管区はたびたび分割されて小さくなったが4世紀後半、モエシア管区とダキア管区が統合されてイリュリクム道が設置された。これは当初のモエシア管区とほぼ同じ範囲を覆うことになった。
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