ローマ支配下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:29 UTC 版)
海岸の主要な要塞都市はローマに占領されていたにもかかわらず、ローマの支配はかなり緩かった。69年、アニケトゥスに率いられたポントスとコルキスの人々は、失敗には終わったが、ローマ帝国に対して反乱を起こした。山間部の部族は、有力な仲間であるスヴァネティ(Soanes)やHeniochiとともに、たびたびコルキスの低地および沿岸部を侵略した。ローマに対して名目上の敬意を払うことで、彼らは自分たちの王国を持ち、自治を享受した。1世紀のはじめにはキリスト教が広がりだした。言い伝えによると、聖アンデレ、熱心党のシモン、聖マタタ(Matata)がコルキスと関係がある。しかし、4世紀までは、ヘレニズム、地元のペイガニズム、ミトラ教が広範囲に広がっていた。130年代までには、北から順に、Sanigia 、アブハジア、Apsilia、Lazica、Heniochi、Machelonsといった王国がこの地方を支配していた。253年、クリミア半島に住んでいたゴート族は新しい居住地を求めてコルキスに侵略してきたが、ピツンダのローマ守備隊の助けを得て撃退した。3世紀から4世紀までには、多くの地方の王国ならびに公国はLazicaの王たちによって征服され、後にこの地方全体はEgrisi(エグリシ)と呼ばれるようになった。
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ローマ支配下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 14:08 UTC 版)
紀元前168年、マケドニアとイリュリアはローマの支配下に入った。 紀元前97年にダルダニア人は歴史上に再び姿を現すが、この時彼らはマケドニアのローマ軍に敗れている。紀元前88年、ダルダニア人はスコルディスキ族やトラキア系のマエディ族とともに、ローマのマケドニア属州に侵攻した[出典無効]。 ストラボンの『地理誌』によれば、その後、ダルダニア人はガラブリ族とスナタエ族の二つに分裂した。 紀元前後にダルダニアはローマに征服され、ダルダニア人は他の部族と同様にラテン語を受け入れ、急速にローマ化していった。
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